おじいちゃん -その2-
この記事は私自身の思い出と経験、その時に獲得した感情や知識・知恵を辿りながら記していき、現在の私を形作るものを探っていく物語です。
祖父の血を受け継いでことを誇りに思うエピソード。
祖父の口から語られることのなかった、戦時中シベリアで抑留されていた頃のお話し。
同じ隊にいた同僚が支給されたばかりの新しい軍服を無くしてしまったことがあったそうで。軍服がなくて困っていたところ、祖父は迷わずに新しい方の軍服をその人に譲ったという話しを母の口から誇らしげに語られた。
日本の戦況は悪化し物資も不足していたのだろうから、今のように簡単に新しいものを要求することはできないだろうし、下手したら体罰を受けるようなことだったと思う。
もうひとつは、抑留されていたときの看守と言葉が通じないながらも上手くやっていたという話し。
素朴で、朗らか、優しさが顔から滲み出ている人。
言葉は通じないが看守の人たちにも好かれ、あんまり酷い待遇は受けなかったらしい。
生きて日本へ戻るために、今できることを全力で行動したのではないだろうか。言葉が通じなくても、人間同士心を通わせることができると信じていたのではないだろうか。
なぜならば、その血が私の中に流れているから。
極寒のシベリアという土地で、戦争の捕虜として捉えられて行くなんて想像もつかなくて、軽々しくは口にできないけれど。
でも、人間を信じていたであろうし、信じなくては生きていられなかったのかもしれない。
毎日の晩酌は、2合まで。時々、3合。
ご機嫌になってくると、ロシア語の単語を少し喋っていた。
大人になって靖国神社の遊就館でみたシベリア抑留の一画は凄まじく。
満足な食事も与えられず、極寒の中で重労働を強いられた。
現在までの帰還人数は、約473,000人とのこと。
1 / 473,000。
おじいちゃんが帰ってなければ、今の私はここに存在していない。
本当に多すぎる犠牲の上に今の私たちの豊かな生活がある。
どれだけ恐ろしい思いをしたか。どれだけひもじい思いをしたのか。
想像すらつかない。
戦争というものは一体なんなんだろう?
なんでこんなにも沢山の命を一瞬で蹴散らすものがあるのだろう?
おじいちゃんの体験してきたことを知るために、大嫌いだった戦前・戦中の歴史の勉強をはじめた。
つづく
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