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集団催眠状態

この記事は私自身の思い出と経験、その時に獲得した感情や知識・知恵を辿りながら記していき、現在の私を形作るものを探っていく物語です。


バブル全盛期は、なんでもかんでもアルファベット表記にして、日本語特有の訛った英語を話しているTV画面の中の大人たち。
ポルシェにドンペリ、夏休みと冬休みはハワイ旅行。

マクドナルド、コーラにペプシ。
アッシーにメッシー。シータク拾って、西麻布でしーすー。ギロッポン行ってチャンネーつかまえる。
週末は、マカオでバカラ。正月は家族とワイハ。仕事の合間にチャンネーとワイハ。
とにかく浮かれている。
カタカナことばと業界用語を駆使して会話を成立させる。

やたらと日焼けをしてて歯が白い。
金の喜平ネックレスにダイヤモンド入りのローレックス。
ポロシャツの襟立てて、白の短パンに素足にローファー。

ワンレングスの長い髪に、身体にピッタリフィットのボディコン&ピンヒール。昼間はちょっと気だるそう。
仕事が終わる頃、フェラーリで男が迎えにきて、そこから夜の街へと繰り出す。
クリスマスディナーの後は、シティホテルに泊まって、ティファニーのオープンハートネックレスのプレゼント。

男も女も共通して前髪をちょこっと出して、整髪スプレーをかけまくってトサカを作ってた。

集団催眠状態。
コロナの時もそうだった。

どこかで誰かが大きな声で煽動すると。
それに続いて
左だ〜〜〜〜〜
右だ〜〜〜〜〜
右往左往。

大人社会がそんなんだから、私たち子供の社会も大人の猿マネ。
高校の正門に車を横付けして、年下の彼女を迎えに来る。
車で彼氏のお迎えがある女子生徒は、鼻高々で校門へ走る。

私はといえば、家庭環境も気軽に贅沢をできるわけではなく。
常に取捨選択を考え、優先順位をつけていくことが日常であった。
また、あまのじゃくな性格なのか。
みんなが良いと思うものを良いと思えない性分で、流行りを追いかけるというよりも、流行りを作りたいと思う方であった。

ブランドものを買い集めたいということもなく。
ついていくべき熱狂的なものも、持っていなかった気がする。

なので、必然的にクラスの中でもなんだか浮いた存在。
みんなが期待していた返答が返ってこない、理解に困る少し厄介な存在であったのだと思う。
なぜならば、もの心ついた時から集団催眠の外にいて、俯瞰の視点から子供特有の率直さで大人にぶつかっていったから。

理解のできない大人たちからは、自分の意見に従うまで物理的に叩かれた。
それでも集団催眠の中に没することができなかった。
争うとかではなく、素直な気持ちで疑問に対して納得がいかない。と、ただひたすら訴えているだけなのだけど。

回答を持たない大人たちは、私の意思を曲げるよう『常識』という根拠すら説明をできない言葉で、根気強く洗脳しようとしてきた。

4歳か5歳の頃、保育園のお友だちの叔母さんと言い争ったことがある。
言い争ったというよりも、納得がいかないので謝らなかった。
4歳の私と30代であったろう叔母さん。
ものすごい剣幕で『生意気』だと、怒鳴り散らしていた。
迎えにきた私の母親が、ただただ平謝りをしていた。
母に申し訳ない。

理由は、はっきり覚えていないけど。
その叔母さんが姪っ子(つまり私の友だち)を叱った理由が理不尽だったので、それを指摘したみたいなことだったはず。

何を言いたいかというと。
4歳頃はすでに強烈な自我があり、理不尽に対してものすごい反発をしていたという私が冷めた目でこの熱狂のバブル期を眺めていたというお話し。

つづく

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