おじいちゃん -その1-
この記事は私自身の思い出と経験、その時に獲得した感情や知識・知恵を辿りながら記していき、現在の私を形作るものを探っていく物語です。
私たちは、おじいちゃんが大好きだった。
土曜日の午後は、おじいちゃんが自転車で学校まで迎えにきてくれるのが楽しみだった。
学校であったあれこれをおじいちゃんと話をしながらお家に帰る時間。
母子家庭だった私は、父の日が憂鬱だった。
「おじいちゃん、いつもありがとう」という文字と共に描いた似顔絵。
一人だけ年代が違う、父親参観日。
平日は17時くらいまで仕事をして、自転車で家に戻ってくる。
家に戻ると玄関先の梅の盆栽やら植栽たちにホースでお水をあげる。
家に入るとお風呂。
18時くらいに晩酌と夕飯が始まる。
ちいばあちゃん(祖母の育ての親の曽祖母)がテレビで相撲を見ながら、いろはにほへとを教えてくれる。
「ちーちゃん、ご飯運ぶの手伝って〜」と、母親が台所から私を呼ぶ。
ちいばあちゃんのご飯。
ご飯、味噌汁、漬物、焼き魚。
ごはんを食べ終えたら、お茶碗にお茶を注いでお茶を飲んで終わり。
おじいちゃんの晩酌セット。
夏でも冬でも熱燗2合。
酒の肴は、シーチキンとか鮭缶に大根おろし、冷奴。
だいたい豆腐と何か一品。
おじいちゃんは、毎日お弁当。
何を作っていたのかはあんまり覚えてないけど、、、、
日の丸弁当は絶対だったな。
甘い玉子焼きも入っていたな。
朝ごはんを食べていたかは覚えていない。
粗食であってもよく働き、日焼けし筋肉も隆々としていた。
祖父はとにかく自己犠牲の人間。
いつもニコニコして怒りを露わにすることもなく、ただただ日々自分の仕事を全うし家族を支えてくれた人。とにかく度量の大きな人間。
器の大きさの違いを子供ながらに感じていたのだと思う。
地獄をくぐり抜けて、生きて帰ってこれたからなのかな。
つづく
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