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1986小学生

この記事は私自身の思い出と経験、その時に獲得した感情や知識・知恵を辿りながら記していき、現在の私を形作るものを探っていく物語です。


1980年代後半、世の中がバブルに浮かれている頃。
ちょうど地元に販売価格1億円を超えるマンションが建った。
このとき初めて億ションという単語を耳にした。
近所の羨望の眼差しを集め、噂の的となった。

小中高、公立学校。
私たちの小学校ではクラスの半分は中学受験をし、半分は地元の公立へ進む。
小学生の頃は、国語、美術、音楽、体育が好きな子どもだった。
算数と理科は、一体なんなのかをほとんど理解していない。

なんで、勉強をしろと言われるのか?
なんで、言われた通りにしなければいけないのか?
なんで、1+1が2でなければいけないのか?
なんで方程式を使って数字を出さなければいけないのか?

普通は、そうだ。
みんなそうしている。

普通?
みんな?
普通ってなに?
なんでみんなそうしてると、私も同じことしなきゃいけないの?
なんで?なんで?なんで?なんで?

私の周りにいた大人は、誰一人その答えを持っていなかった。

理由を教えてもらえずに、自分で納得のいかないことをしなければいけないということに理不尽さを感じていた。
周りの大人たちが悪気なく、むしろ無知の善意の気持ちで普通と言われる価値観押し付けてくることに、窮屈さを感じていたことは鮮明に覚えている。

従順に問題を起こさず、明るく活発に、出過ぎず、みんなが優等生と認めるような健全な子ども像が求められていた。
容姿端麗、勉強ができて、運動神経も良い。親の職業が大手企業で、世帯収入は高め。
こういうものを皆がよしとして、目指していた。

うちは、母子家庭。
東北の雪山育ちの祖父は戦争でシベリアに抑留され、終戦後命からがら日本に戻ってきた。
戦争の話しはほとんどしてくれなかった。
今ならわかるが、、、
多分だけど、ものすごく辛い現実だったんだろうと思う。
東北の田舎から出稼ぎで出てきて、一生懸命肉体労働をし、銅線を集めてはお金に変えてお小遣いを稼ぎ、やっとの思いで家を買った。
そんな家庭。
億ションなんて、夢のまた夢。

戦後の復興を経て、高度経済成長期に生まれた母親の時代を経て。
バブル経済で日本が浮かれている頃、私は小学生。
新聞の折込チラシにある高額時給の仕事募集の求人を見ながら、もう少し大きくなったらアルバイトをして母親や家庭の助けになろう。
そしたらバービーちゃん人形の洋服も好きなだけ買えるようになるはず。

大人たちはギラギラしていて、たくさんの原色や蛍光色、やたら金ピカだった。TV画面には町おこしのために作った金の便座とか、竹藪に捨てられた札束。ぐりぐりパーマで濃い化粧の女たち、トサカ頭でタバコ吸ってる男たち。クイズの優勝賞品は、決まって5泊7日のハワイ旅行。
みんな大声で自己主張をしてうるさい。目もうるさい。

そんな大人たちを横目に、夢を見ながら求人チラシを眺めていた。

つづく

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