ぐにゃぐにゃ...
残念ながら、私の嫌な予感は外れなかった。
私の思い違いであってほしかった。
なぜならば、人類の未来を憂いて志高く、今できることを見つけて行動できる仲間を探していたから。
一緒に考えて、悩みを打ち明け、手を取り合って行動できる仲間が欲しいから。
好きな友だちの紹介ならば信用できると思い、体調もイマイチで気乗りしない気持ちを押し切って遠出した。
が、、、、しかし。
私たちは目覚めているから大丈夫。ぐにゃぐにゃ。
コ●ナで目覚めた日本人も沢山いるはず。
日本人の80%は、お花畑に住んでいる。ぐにゃぐにゃ。
自ら情報を選択をして、横のつながりをもつ。
私の応援している●●党の●●さんは、〇〇先生のことを責めていない。
〇〇たちがあの人を連れてきたから悪い。
嫌なら自分で政党を作ればいい。
ある党の党員さんとお話しをする機会があった。
なんで分裂したのかネットを検索しても理解できなかったので聞いてみた。
ふむふむ。
しばらく聞いてたけど、、、、
まず、文章の組み立てができていない。
これじゃあただの洗脳されたおばさんの井戸端会議。
メディアがTVからYoutubeに変わっただけ。
Youtubeからよく聞こえてくることを声高に繰り返している。
個人的に心がけていることは、Youtubeで情報を受け取り、その情報はどこからきているのか探しに行くこと。
例えば、その時代の文献を色々探してみたり。
古事記などの文献と照らし合わせてみたり。
好きな社会学者さんの挙げていた名前の本を読むとか。
最近は区の図書館や郷土資料館、国会図書館を利用する。調べるべき書籍が多すぎて、スペースも資金も足りないから。
私が相槌を打たないので、とても不安そう。
話しを聞いているのだけど、Youtubeの受け売りを繰り返しているだけで、どこまで聞いても彼女自身の意見や、未来に向けて今何ができるのかを答えはないが知恵を絞り出そうという態度が見えない。
短時間ではあったが会話の中でのパターンがわかったので、悪いと思ったけど、、、、彼女がどういう受け答えをするのか試した。
歴史認識がどれくらいあるのか。
あえて彼女の意見の反対のことを投げかけてみたり。
返ってきた答えは、かみごたえもなく。
投げかけた東京裁判という重たいテーマの映画については、パンフレットも手に取らず目を背けた。
『私、こういうグロいの苦手だから』
私の心の声:(Oh,,,,お花畑の住人みたいな発言ですねぇ。)
この類の人の共通点を再認識できたことが、今日の唯一の収穫としよう。
・基本、自分のことは棚上げ
・相手の発言を受けての一言目は、まず『でも〜』などの否定言葉から入る
・または、相手の意見を無視して『私は〜』と自己主張をする
・自分の意見が通用しないとわかると、動物や環境を配慮した偽善の話をはじめる
・否定されると意固地になる
・反対の意見を受け入れることができない
・思ってもいないのに謝ってその場をおさめようとする
言ってることと、行動が一致してないや〜〜〜ん!
私の心の声:
(そんなのみんな思ってるんだよ!)
(質問してるのは、それを実現させるためにどうするかを考えて、お前の意見を聞いてるんだよ!)
(甘すぎて胃もたれしてきたわっ)
私の接したことある人たちは、みな40~50代の女性。
一見柔らかそうな線ほそめ。だけど、盲目で頑固。議論はできない。
自分の手にあまるようになると、態度を硬化させて一般的な話に持ち込み。
『考え方は、人それぞれ』というキラーワード。
私の心の声:(えええ〜〜〜だったら、なんで議論仕掛けてきたの?)
(スピリチュアルを否定してたあなたが、精神論に持ち込むの???)
もう、全てが崩壊してる。
外から見たら盲目で従順な信者に見えていることを本人たちは気づかない。
彼女の話し続ける声がぐにゃぐにゃに曲がってきて、もう何も聞こえない。
生ぬるくて、芯がなく、かみごたえがない。ぐにゃぐにゃ、ぐにゃぐにゃ。
なぜ、私はこんな場所にひっぱり出されたのか?
はじめから議論なんて望んでいなかった。そもそも議論にもなっていない。こんな不毛な時間。なぜ、自分で理解していないことをずっと私に語りかけてくるのか?私は、その意見に永遠に同意することはできないと伝えているのに。なぜそんなに執拗に説得を試みるのか。宗教の勧誘なのか?なんと言ったら満足するのか?なぜ私が知りもしないこの女を満足させるための言葉を探さなければいけないのか。
何か私が口を開くとかき消すように一般論を大きな声で話しはじめ、しばらくすると、また受け売りをぐにゃぐにゃ。
もう無理だ。吐き気がする。
誘ってくれた友人には悪いと思ったが、『ごめん、ちょっと帰らないと』と言って、そこまでの自分の分のお金を置いて席を立った。
後ろから『私が帰ろうか〜?』と聞こえた。
帰ろうと思っている人は、当前に席をたってるよね。
ということ。