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#838 粋な人を拝ませて、横文字読みの甲斐性なし!

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

上方を中心に流行した浮世草子の流れが続く時代に、怨霊は生前、物語を25の頃に見聞きしたままに書いていたが、その後、勧善懲悪の大砲を引かれ、我が持仏堂を打ち崩され、紙魚に手足を食われ、古本箱に押し込められ、日の目見ぬ暗闇に埋められたと言います。

さりとは世は小萬源五兵衛[コマンゲンゴベエ]が盛衰[セイスイ]、まてば甘露[カンロ]の日和[ヒヨリ]ありき。

「おまん源五兵衛」は、1663(寛文3)年、薩摩で心中したとされる男女の名ですが、事件の詳細は伝わっていません。ですが、のちに、その名を借りて様々な作品が生まれました。

井原西鶴(1642-1693)の『好色五人女』(1686)は、5組の男女の悲劇的な恋愛事件を題材としていますが、そのひとつ「恋の山源五兵衛物語」は、上記の事件をハッピーエンドに改めた作品で、源五兵衛に恋慕した琉球屋の娘・おまんの物語で、近松門左衛門(1653-1725)の浄瑠璃『薩摩歌』(1704年初演?)は鹿児島出身の武士である菱川源五兵衛とおまんの恋愛をめぐる物語と、笹野三五兵衛とその許嫁小まんの物語を絡ませている作品で、「恋の山源五兵衛物語」とともに、別名「おまん源五兵衛」と呼ばれています。

淡島[アワシマ]の優婆塞[ウバソク]が心中の手向[タムケ]の水、誓文かたじけなく、蘇生の息吹[イキフキ]かへして、又も此世[コノヨ]を假[カリ]の宿[ヤドリ]に、暫らく伽羅[キャラ]の香りゆかしく、口紅の花咲かせ、粋[スイ]さまの美形拝[オガ]ませて、蟹文字[カニモジ]生[ナマ]よみの甲斐しょ無し、八方に走らせつ。

「蟹文字」とは、蟹も西洋語も横に移動するので「外国語」のことです。

さるにても嬉しいは寒月、紅葉、露伴、不知庵。しゃぼん臭き當世[トウセイ]に、梅花の油芬[プン]とにほはせ、あゝ善[ヨ]う水[ミズ]手向[タムケ]てくれけるぞや。

淡島寒月(1859-1926)、尾崎紅葉(1868-1903)、幸田露伴(1867-1947)、内田魯庵(1868-1929)そして中西梅花(1866-1898)……「しゃぼん」とは、「石鹸」のことです。

又頼母[タノモ]しいは同じ流[ナガレ]の若い人達、神[シン]ぞ我を慕うてくれるこゝろざし、忘れは置かぬ、嬉しいぞよなふ。さりながら、追善法會[ツイゼンホウエ]の功徳にて、年来[トシゴロ]の濡衣[ヌレギヌ]は乾きぬれど、そなた達は建[タテ]てくれし卒塔婆は、雨風[アメカゼ]には脆き薄板[ウスイタ]のへら/\。定めなきは浮世ぞかし。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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