それでは……本日から、没理想論争前哨戦の逍遥サイドから振り返ってみたいと思います。あらためて、逍遥の「小説三派」から振り返ってみましょうか……
逍遥は「小説三派」で、小説を固有派・折衷派・人間派に分類します。
そして、この小説の三派を、詩と絡めます。
「物語派」は「固有派」のことで、「人情派」は「折衷派」のことです。
そして、こんな風に言います。
ここで、「人間派」に重きを置いていることがわかります。
そして、
固有派は肢体、折衷派は五感、人間派は魂のごとし
固有派は文人画、折衷派は密画、人間派は油画のごとし
固有派は常識(広くて浅い)、折衷派は諸科の理学(狭くて深い)、人間派は哲学(広くて深い)のごとし
と例えたあと、こんなことを言います。
それぞれの性質を評しただけで、優劣を言ったわけではない、と……
で、このあと、逍遥は「余計」と思われる文章を差し挟みます。
「哲学は科学の親であるが、その説まことに高からず、常識は科学の材であるが、普通の常識ばかり真理に近きものはなし」、これぐらいにしておけば、のちに鷗外に揚げ足をとられずに済んだはずです。
そして……
これが「小説三派」のおおまかな流れなのですが……
この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!