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#848 樽には水、竹筒には極上醤油、悪知恵の勝つ明治の当世

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

第七回では、馬琴・西鶴に続いて近松門左衛門の霊が巫女に乗り移ります。近松いわく、ドラマの真の旨を得て、人間の本相を写しているのは自分を除いてほかにはいない。実用と美術とをひとつにした理屈詰めの評判は飲み込まぬ。理屈なしに面白くてこそ美術である。

凡[オヨ]そ美術といふものは實[マコト]と虚[ウソ]と皮膜[ヒマク]の間にあるものなり。虚にして虚ならず、實にして實ならぬ其間[ソノアイダ]にこそ美術の趣味は籠[コモ]るなれ。

近松の友人であり儒学者である穂積以貫[イカン](1692-1769)が著した浄瑠璃評注『難波土産[ナニワミヤゲ]』(1738)で、近松の言葉として紹介されているのが、近松の演劇論「虚実皮膜論」です。原文では「皮膜」と書いて「ひにく」と読ませています。

芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也。……舞台へ出て芸をせば慰みになるべきや。皮膜の間といふがここ也。虚にして虚にあらず実にして実にあらずこの間に慰みがあったもの也。

と書かれています。

吾等[ワレラ]此理[コノコトワリ]をよく守りて、虚實の間をゆきたるゆゑ、賢愚老幼[ケングロウヨウ]感ぜぬもの無し。若し實ばかりにかたよらば、元禄限りの命なるべかつしを、虚中[キョチュウ]の實を書きたれば、遠き昔に今もかはらぬ近松の葉[ハ]の常磐[トキワ]の翠[ミドリ]、深翠[フカミドリ]、とり/″\に鳥鳴き笑ふ花の春、これを自然の美術の旨、と曉[サト]ったでも無し、知らぬでも無し、我も夢見る、人も見る、夢の浮世の戯れながら、不二法門[フジホウモン]の不説法[フセッポウ]、理窟をいへば朧気[オボロゲ]なれど、流石に作に見ゆればこそ、随喜[ズイキ]の涙雨[ナミダアメ]と降り、枝ぶり善[ヨ]し、葉ぶり善し、よし/\吉野の櫻より、花よりこちの近松とほめるが證據明白[ショウコメイハク]なり。何とすごいか、さりながら、只[タダ]空[アダ]ぼめの功徳にて、人が佛[ホトケ]にならばこそ、恨めしいぞよ、幾億萬[イクオクマン]と、信徒の数は増しながら、元禄以来けふまでも、只の一人も我が為に、大供養會[ダイクヨウエ]を執行[シュギョウ]して、成佛させてくれぬゆゑ、浄瑠璃の名はありながら、瑠璃光如来[ルリコウニョライ]の實はなく/\、中有[チュウウ]に迷ふ苦[クルシ]みを、察せぬかよなふ、つれなさよ。たま/\我を信仰の頼母[タノモ]し人もあるなれど、我場當[バアタ]りの走りがきを、此上[コノウエ]なしと贔屓眼[ヒイキメ]や、あかぬ心の願ひかな。或ひはこゝやかしこげに、秀句警語[シュウクケイゴ]をぬきだして、近松の長所爰也[ココナリ]と織屋[オリヤ]の縞帳[シマチョウ]見るやうな吹聴は、心元無き附法事[ツケホウジ]、醤油樽[ショウユタル]に水はって口元ばかり竹筒に極上醤油ついで見せる悪智慧の勝ちし明治の當世[トウセイ]、見本のみでは合點[ガテン]せぬ邪推深い人情と、思へば吾[ワレ]も心懸[ココロガカ]り。此やうな附法事は幾たびしてたもっても、念が残って浮ばれぬ。或ひは我を大まけに、日本国のシェークスピヤ、「マクベス」、「シーザー」、「オセロー」、「リヤ」何のそのとまくしかけての賞言葉[ホメコトバ]、嬉しからぬにあらねども、證據をあげてたもらぬゆゑ、我ながら覚束無し。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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