#863 ようやく没理想論争前哨戦の舞台が整ったぞぉ!
それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。
本日、いよいよ『梓神子』読了です!ちょっとだけ長くなりますが、最後まで一気に読んでいきますよ!
巫女に取り憑いた作家の怨霊の嘆きを主人公が次々と批判し続けた結果、大量の怨霊に取り憑かれた巫女はついに気絶します。主人公が介抱していると、突然「取次のオヤジ」が現れ、これまでの主人公の批評の仕方を非難する、というどんでん返しの展開!文章脚色のみを批評するのは評の一部であり、小説の性質として顕著普通を要するのも一部である。ホメロスの規矩・規準から外れているものは叙事詩ではないというのも偏見であり、シェークスピアの作を標準とするのも偏見である。批評は須らくその作の本旨の所在を発揮することをもって専とすべしである。馬琴を近松を西鶴を評するのも、かくの如くすべしである。演繹的専断批評の世は逝き、帰納的批評の代が近づいている。とりわけ「没理想」の詩すなわちドラマを評するには、「没理想」の評すなわち帰納評判を正当とする。
巫女さんが気絶してしまったからでしょうか、彷徨う怨霊が、どうやら、取次オヤジに取り憑いていたようですね……
というところで、『梓神子』は終わります!
結局、「取次老爺」に取り憑いたのは、誰の霊だったんでしょうね……
1889(明治22)年5月、ロシア帝国支配下だったブハラで最初に確認され、瞬く間に世界中に拡がったのが、いわゆる「ロシア風邪」です。1890(明治23)年の冬から、日本でも流行し始めます。当時、流行り風邪には流行り言葉を当てることがあり、このとき、歌舞伎・浄瑠璃で「お染久松」という演目が人気を集めていたため、「お染かぜ」と呼ばれました。実際の出来事を題材にした悲恋もので、豪商の娘・お染と丁稚奉公人の久松の身分違いのラブストーリーです。で……お染の名が冠された風邪の侵入を防ぐには、どうすればいいか!久松が家の中にいなければ追っては来るまい!ということで、家の軒に「久松留守」と書かれた札を貼るまじないが流行りました。「お染久松るす」や「お染御免」と書かれる場合もありました。
ちなみに1918(大正7)年から世界中で流行した、いわゆる「スペインかぜ」の時になると、内務省衛生局が、現代と全く遜色のない近代的な予防法を啓発します。
ということで、これでようやく、没理想論争前哨戦の材料が揃いましたね!
いやぁ~長かったなぁ~w
さて、逍遥の「小説三派」「底知らずの湖」「梅花詩集を読みて」「梓神子」の四作に関して、このあと、森鷗外が、「しがらみ草紙」第24号(明治24年9月25日)で、「逍遥子の新作十二番中既発四番合評、梅花詩集評及梓神子」と題して批評を行なうのですが……それに関しては……
また明日、近代でお会いしましょう!