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#819 現れた口寄せ巫女は五十あまりの老女

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

第一回は、恐ろしい夢にうなされている「おのれ」が、怨霊の口寄せをしてもらうため神子の家を訪れるところから始まります。六十あまりの翁に案内されて家の中に入ると、六畳の部屋の南には小庭、右には居間、左には奥座敷があります。

翁が茶煙草盆[チャタバコボン]持運べる間[ヒマ]に、背[ウシロ]なるなげしを見返れば、古びたる太刀[タチ]三振[ミフリ]までぞ掛けたる。これも昔の形見ならん。稍ヽ[ヤヤ]ありて丸髷[マルマゲ]小さく結ひたる五十餘の老女の當[トウ]の人と見えたるがいできぬ。縞紬[シマツムギ]の針目[ハリメ]ところ/″\しるけき袷衣[コロモ]を単物[ヒトエモノ]の上に重ねて、無地かと思ふばかりに縞細[コマ]かき銘仙の羽織被流[キナガ]したる人品[ヒトガラ]おとなしやかなり。元より気高きさまは絶えてなし。されど豫[カネ]て想ひしにはたがひて人ずれたる気しきは無く、目[マナ]ざしも口つきもゆたりとして、言語[モノゴシ]も物静かにゆるやかなる只の媼[ババ]なり。天地[アメツチ]と頼みたりし父母[チチハハ]に死[シニ]わかれ、歎[ナゲ]きくづをれたる人々の喞言[カゴト]、月日とも思へりし妻夫[ツマオット]に離れたる人々の訴言[ウッタエゴト]をきゝては、物の哀身[アワレミ]に知られておのづから心は折れぬべし。まして八萬何千といふ煩悩に病める人々の身の上語り此年[コノトシ]ごろ聞[キキ]もし慰[ナグサ]めもしつらん身は、げに斯うこそあるべけれ。情深き叔母の放蕩なる甥を意見するやうに、鼠鬚[ネズミヒゲ]生えたる三十男に向ひて慰め問ふ口振[クチブリ]いとまめやかなり。生霊か死霊かみづからはほとほと得辨[エワキマ]へず、正[マサ]しく怨霊のわざなりと卜者[ウラナイ]の翁はいひき。おん身[ミ]の通力[ツウリキ]もて先づ最も近きあたりにゐるものを呼びたまひてよ。怨霊は一位二位のみにはあらずといひつるが、其一二に見[マミ]えば他[タ]は推しても知らるべき歟[カ]。世にかゝる奇怪なる物の怪もあるものにや。我ながらいとも/\怪しう。まことに物に魅[ツマ]まれたる心地して心得がたくこそ、といへば、老女打案[ウチアン]じ、婆[ババ]久しく此[コノ]道を修[シュウ]し侍[ハベ]れども、生口[イキグチ]、死口[シニグチ]の寄来[ヨリク]るは畢竟は神のせさせたまふにて、妾[ワラワ]の通力といふものには侍らず。さるからに、何事を口走りけん夢心地の中[ウチ]にいへりしことは、神あがりたまひては些[チト]も記[オボ]えず。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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