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#859 桜は良い花かい?誰から見ても美しいかい?

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

数多くの怨霊に取り憑かれ、ついに気絶してしまった巫女さん……。さまざまな介抱を試みていると、後ろから襟をつかまれ、引き倒されます。何奴!と見ると、「取次のオヤジ」が肩肘張って怒っています。お前は他人の介抱よりも自身の鼻先の腫れ物をヒルにでも吸わせるのが当然である!一体お前は批評の旨も知らないで、批評家気取りとは笑止の至りである!未来がどうの、人間の運命がどうの、説教の胡椒をふりかけたような言い分!

されば二千餘年前[ニセンヨネンゼン]に死んだ和郎[ワロ]の肋骨[アバラボネ]を息杖[イキヅエ]にして、やれ、希臘[ギリシャ]の碩学[セキガク]アリストートルが斯う申したの、プレトーが左様おっはかしゃりましたのと、文学といふものが何時までも元の若衆[ワカシュ]でゐるやうに思うて、四十男に朧染[オボロゾメ]の袴穿[ハカ]せうとは、若道[ニャクドウ]全盛の元禄にも例[タメシ]きかぬ惚[ボケ]た穿鑿[センサク]。

「アリストートル」とはアリストテレス(前384-前322)のこと、「プレトー」とはおそらくプラトン(前427-前347)のことでしょうね。

朧染は、着物の裾に向かって段々色を薄くする染め方で、寛文(1661-1673)の頃に、京都の紺屋新右衛門が春の朧月の美しさから着想を得て作ったといわれています。四十の男が朧染の袴を穿くと「若作りしやがって!」という感じだったんですかね……

学問をすれば斯うも愚[ウツケ]が栄えるか、と涙が落[オチ]くさってならぬわい。これらは元より論の外[ホカ]ながら、ひっくるめて貴公達の批評は、手前勘[テマエカン]の理想を荷[カツ]ぎまはっての杓子定規。好悪愛憎[コウオアイゾウ]の沙汰。眞理でござるの、論理でござるのと、表招牌[オモテカンバン]立派なれど、黒字[コクジ]の上々[ジョウジョウ]が平等を知って差別を知らず。櫻を標準にして萬木[バンボク]を評判し、菫[スミレ]を目安にして千艸[チクサ]の花の美醜[ヨシアシ]を才[サイ]はぢけた利口らしき辨[ワキマエ]。

ちなみに、奈良時代に成立した日本最古の和歌集『万葉集』で、植物が詠まれた歌は約1500首、そのなかで詠まれた数が多い植物は、1位が「萩」で141首、2位が「梅」で118首、3位が「松」で79首、4位が「橘」で68首、5位が「桜」と「葦」で50首、6位が「菅[スゲ]」で49首、7位が「薄[ススキ]」で47首です。

さしひき總[ソウ]じめの上[アガ]り高は嗜好の二字にとどめたり。如何[イカ]さま櫻はよい花であらうかい、誰目[タガメ]にも美しからうかい、しかはあれど馬[マ]のぬけた小理窟[コリクツ]、櫻はたかヾ日本[ヒノモト]の花王木[カオウボク]、その外[ホカ]の萬木[バンボク]きり倒せとたがいうた。桃も李[スモモ]も薪にして自然の風物が美しいか。譯[ワケ]もない。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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