#833 勧懲を横糸とし、儒教を縦糸として…
それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。
第四回は、「我慢」の上中下を論ずるところから始まります。我慢の「最大」は一切の善悪を受け入れて余りある状態で、我慢の無いことに等しい状態。我慢の「中[チュウ]」は衆善を容れる量はあるが、衆邪を破るには疾風のなかの枯葉を掃うに似ている。そして我慢の「下々[ゲゲ]」は、目の無い笊[ザル]のようで、善をも容れなければ悪をも容れない。ゆえに自分を尊び、思い上がる。巫女に乗り移った目の前の怨霊は、まさにこれで、どんなに論じても退散の効き目がない。ひとたび外郭を乗っ取り、写実派の旗を立てるのが目的成就の道理であるが、理想詩人はまだ誕生の産声をあげていない。最近起ころうとしている理想派の勧懲詩は怨霊の描いていた物語と似ているが、古来より似て非なるものが近所にあることが迷惑至極であるわけで……
「美妙斎」は山田美妙(1868-1910)のことです。「没理想論争」関連の評論文のなかに、一体、どれだけ「美妙」の名が出て来るんでしょうね!それだけ、逍遥は、山田美妙のことを買っていたんですよねぇ~
「残花」は、詩人の戸川残花(1855-1924)のこと、「雲峯」は、同じく詩人の磯貝雲峰(1865-1897)のことです。「嵯峨のや」は、二葉四迷の同級生で、逍遥の門下であった小説家・嵯峨の屋おむろ(1863-1947)のことです。
「プーシキン」は、ロシア近代文学の詩人アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)のことです。
「リチャード獅子王」はイングランド王のリチャード1世(1157-1199)のこと、「アイヷンホー」は、ウォルター・スコット(1771-1832)が1820年に発表した長編小説『アイヴァンホー』のことです。架空の主人公が現実の歴史的な出来事で活躍する手法の作品で、リチャード1世の十字軍遠征時代が舞台です。1823年に出版された『クエンティン・ダーワード』も同様の手法で描かれており、フランス国王ルイ11世(1423–1483)に仕えたスコットランドの射手に関する物語です。スコットは、1814年に出版した『ウェイバリー』から20数篇にわたって同様の手法で歴史小説を書いており、この一連の小説群は「ウェイバリー小説」と呼ばれています。スコットの名が冠されていないのは、この当時、スコットは匿名で出版しており、『ウェイバリー』出版以後は、タイトルページに「ウェイバリーの著者による」と記していたためです。
ということで、この続きは…
また明日、近代でお会いしましょう!