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#828 パノラマの煙と、真の煙くらい似ているけど違う

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

「第三回」は、巫女に乗り移った怨霊が、近年の作家の態度を嘲ったあとのことです。口寄せを頼んだ主人公の「おのれ」は、怨霊が、ただの自慢オヤジだと悟り、なにを恐れることがあるかと強くなります。今の勧懲は味方とならず却って大敵となるだろう。勧懲の常套手段は、悪行を重ねた家には必ず悪いことが起こるということを、うどんのように引きのばして見せることであるが、現に「おのれ」などは随分悪事をはたらいたが、富豪となり、紳士と尊ばれている。おぬしの小説ぐらいはシガーの煙とともに吹きとばすことができ、ガス燈の時代の丸行燈の光くらいに役に立たない。

本来方便[ホウベン]といふものは世尊[セソン]程の人の用ひてこそ用にたて、足下[ソコモト]位の見識の男は有丈[アリタケ]の見識を傾[カタブ]けて、血の汗を絞り、血の涙を流し、満腔[マンコウ]を倒[サカサマ]にし、有[アリ]の儘[ママ]に見せて、さてやつと、何百人を動かすに足るべき筈[ハズ]なるを、足下はじめより方便と招牌[カンバン]うち、女子供を相手と相場附[ソウバヅケ]してかゝらるゝ故に、儒を説けば孔教[コウキョウ]の俗解[ゾクゲ]、佛[ブツ]を説けば小乗の片端[カタハシ]なり。それがしは之をもて足下の観念が低かりき、と問答でもして来たやうな軽忽[カルハズミ]の電報は打つまじきが、兎に角に足下の作のうへに見えたる理想の低きことは、佛家[ブッカ]にして足下を悦[ヨロコ]べるものに問へば、足下の理想はむしろ儒教に基[モトヅ]けりといひ、儒家[ジュカ]にして足下に酔へるものに問へば、むしろ佛教に基けりといへるにても明[アキラ]かなり。嗚呼[アア]、足下は方便といふことに拘[カカヅ]らひて理想をきずつけ、勧懲といふことに泥[ナヅ]みて美術を汚せり。其の源[ミナモト]は一つにて、其損[ソノソン]は二様[ニヨウ]なり。此邊[コノヘン]所望[ノゾミ]の通り、一々證據[ショウコ]あげたしとぞんずれど、イヤ迯口上[ニゲコウジョウ]ではござらぬが、何分[ナニブン]にも俗事[ゾクジ]いそがしうて、如何[イカニ]とも仕[ツカマツ]りがたい。盆のお精霊[ショウリョウ]さまゝで預つて下され。それは扨置[サテオ]き、方今[ホウコン]の人々、いづれも目があいてまゐつたるゆゑ、何方[ドチラ]へゆかうか思案橋[シアンバシ]の眞中[マンナカ]に立ち、處世[ショセイ]安心の方針を得んと発心の最中なり。さるによつて、萬一[マンイチ]此間[コノアイダ]に勧懲主義の小説[モノガタリ]が起るやうでござらば、ミルトンの如き、バイロンの如き、シェレーの如き、ワーヅワースの如き理想派の詩人は出るでござらうが、足下の如き、スペンサーの如き、リチャードソンの如き勧懲家[カンチョウカ]はお間[アイダ]ならん。即ち満腔の理想のおのづから発して勧懲の相[カタチ]を帯[オ]べる者はいづべし。足下の如きは今の海の鯛にあらず、頻[シキリ]に足下を釣らんとする餌のあるやう見らるゝは、是れ足下が空前の豪傑たる所以にて、今人[コンジン]の(今の勧懲家の)欲しと思ふものゝ相[カタチ]足下の相[カタチ]に最も肖[ニ]て、足下の作を除きては微[カス]かに肖たるものも無きが故のみ。併しながら相[ソウ]の相肖[アイニ]たるは性の同じきにあらざることは、パノラマの煙と眞の煙、ところてんとこんにやく板[バン]。正法僧[ショウホウソウ]と末法僧[マッポウソウ]。末法僧が正法の獅子心中の蟲ならば理想詩人も足下の亜流を獅子心中の蟲といはんか。是れ先刻もいひたりし理想詩人が足下の為には大敵たるべき所以也。

円筒形の壁面に背景画などを描いて立体感を現すパノラマは、1792年にアイルランドの画家であるロバート・バーカー(1739-1806)によって考案され、1890(明治23)年5月7日に上野公園内に開館した「パノラマ館」で日本初登場となりました。

というところで、「第三回」が終了します!

さっそく、「第四回」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!


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