#795 またひとり新たな人物が湖に現れます!
それでは今日も『底知らずの湖』を読んでいきたいと思います。
話の内容は、昨夜に見た怪しい夢に関することのようでして……場所はどこだかわからないが、池のような沼のような湖があります。周囲の距離もはっきりせず、湖のかたちは鶏の卵のようです。あたりの山々には春夏秋冬が一斉に来ており、空には高い峰々、滝の音は雷のようです。ここに霧が立ちこめる洞窟があります。これはどこへ続く道なのか。梅の花は白く、鶴がおり、丸木橋がかかっている。水の底には砂金が敷かれ、夏の木の実がなり、秋の果物が実っています。ここは、極楽の浄土か、天上の楽園か……。金翼の鳥が神々しく歌い、白色の花が神々しく舞っています。なんという怪現象なのか!雨露にさらされている高札を見ると「文界名所底知らずの池」と書かれています。どこからともなく道服を着た翁が来て、そのあとから仏教の僧侶とキリスト教の信者がやってきて三人で松の根に佇み、湖の風景を見て、空前絶後の名所なりと言います。水は智、山は仁、梅は節、松は操、柳は温厚の徳、橋は質素の徳、紅葉は奢るもの久しからずという心なのか…。三人は崖をおりて湖に足を踏み入れますが、深みにはまり、跡形もなくなってしまいます。その後、新たな人物が現れます。古風な帽子をかぶり、弁慶のように七つ道具を背負い、色々な道具を提げています。今歩いているのは自か他かと哲学者のように正しながら美しい湖の岸辺に近づきます。
唯[タダ]可惜[アタラ]しきはあしこの瀧津瀬[タキツセ]の水玉なり。玉の如く迸[ホトバ]しればこそ水玉なるべけれ。雪のように翻[ヒルガ]えるはいかにぞや。二つには此方[コナタ]のテニヲ葉[ハ]なり。散布[チリシ]くまじきあたりにみだりがはしう散りたるいと醜[ミニ]くしさもあらばあれかからんは白壁[ハクヘキ]の微瑕[ビカ]として恕[ミノガ]すべし。只夫の紅葉の下[モト]に猪[イ]の影見え萩[ハギ]の下枝を挟雄鹿[サオシカ]のかきわきて歩みいでたるぞ。木に竹をつげる心地[ココチ]すなる掻[カキ]も消したし。いかにせましやなどうめかるる程に忽ち老樹の背[ウシロ]をめぐりて出来[イデキ]つる人ありけり。見れば額白頬奇[ガクハクホウキ]にして頭脳の大[オオキ]なることは万巻の書を容[イル]るに足るべく眼光[マナザシ]の鋭きことは一瞥[イチベツ]十餘行[ヨギョウ]の字を読むにも適ふべし。身には朱唐紙[シュトウシ]をもて製[ツク]りたる紙子羽織[カミコハオリ]を被[キ]て頭[カシラ]には羊羹[ヨウカン]色の和冠[ワカン]をいただき右手[メテ]には枝折形[シオリガタ]の笏[シャク]を握り左手[ユンデ]には管城子[カンジョウシ]と名づけたる杖つきならし右の足砂利[イサゴ]に触[フ]るれば俯[フ]して其の黒白[コクビャク]を撿[アラタ]め左の足木の葉に触[フル]れば又俯[フ]して其質[ソノシツ]を査[アラタ]めやう/\にして此方[コナタ]に近づきいかに文章[フミアキラ]のぬし此[コノ]湖の景色をいかさまにか見たまひつるげに比[タグ]ひもなくめでたく候[ソウラ]はぞや見そなはせ彼處[カシコ]に亭々[テイテイ]たる松は正[マサ]しく高砂の松を祖[オヤ]とせるなり。
ということで、この続きは…
また明日、近代でお会いしましょう!