それでは今日も森鷗外の「逍遙子の諸評語」を読んでいきたいと思います。
鷗外は、逍遥が思う批評の標準・手段をまず羅列します。すなわち「批評」とは……
著作の本旨の所在を発揮することをもて専とすべし。
帰納的なるべし。
没理想的なるべし。
科学的なるべし。
標準に拘泥することなかれ。
手前勘の理想を荷ぎまはることなかれ。
嗜好にあやまたるることなかれ。
演繹的なることなかれ。
芋蟲一匹を解剖するにも、人間を解剖するに同じく、その間に上下優劣をおかぬ動物学者の心こそ頼もしけれ。
批評とはもと褒貶の謂いにあらず。
おそらく、ここが、逍遥と鷗外の「理想」観における相違が明示された初めての箇所じゃないでしょうか。そして、最初にしてすでに論点がズレていることがわかります。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!