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#856 巫女さん、ついに気絶する……

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

「第八回」は、近松門左衛門の霊が嘆いた内容に対して、主人公が返事をするところから始まります。答えていわく、虚と実と被膜の間に美術ありという高説、面白く承った。「虚」は広くして限りなければ、一切の法相を覆って余りあり、「実」は狭くして鋭ければ、特殊な法相が躍如して飛動する。「実」は差別、「虚」は平等、「実」は個性、「虚」は通性、詩人の本領とは、この虚実の二字である。しかし、この二字の境を弁えるのは簡単ではない。そなたの作を見るに、おおかたは「虚」であり、虚妄が甚だしいのはシェークスピアにも優っている。名工の筆からなる神怪の絵は、形は「虚」であるが真に「実」である。形の「実」を重んずるのは、理の「実」を重んずるよりも甚だしい。時代物の劇を作れば、事実と風俗に力を尽くすが、人情の「実」は却って空しい。形而下の論理に目がくらみ、形而上の論理を忘れるゆえに、虚実の境に戸惑ってしまう。そなたを日本のシェークスピアと褒めるに、形無き評であってはならない。そこで、聞き申す。そなたは中年まで荒唐無稽の時代物ばかり書き、老後には自然派の人情物を書いたのには理由があるのか。シェークスピアに比べて、そなたは上中下どの位置にいるのか。すると、壇が轟き、鏡がゆらめき、無数の怨霊の気配がします。我が国の「物語」の生みの親を忘れたのかと女性の霊が嘆くかと思えば、「てには」の使い方すらわからず文人・詩人だと思いあがるのは我が国の恥辱だと男性の霊が嘆くかと思えば、そのあとには「漢文学」の霊が現れます。

今の文人、焉[エン]、哉[サイ]、呼[コ]、也[ヤ]の使ひざまだに知らず。有[ウ]と在[ザイ]と至[シ]に到[トウ]との別をも辨[ワキマ]へず、愈再拜[ユサイハイ]とあるを見ては、いよ/\再拜[サイハイ]と訓[ヨミ]をつけて、書簡の尾毎[シリゴト]につけ、雪の欄檻[ランカン]を擁[ヨウ]して馬の前[スス]まざるを歎[ナゲ]く。甚[ハナハダ]しきに至りては、豈[アニ]慨歎[ガイタン]すべきの至也[イタリナリ]と書く。豈慨歎すべき至極にあらずや。吾曹[ゴソウ]漢詩の流行となりて、漢文学講義となりて、大[オオイ]に蘇生せんとする所以のもの、蓋[ケダ]し止むを得ざるにあらずや。

「吾曹」とは、「われら・わが輩」という意味です。

すされ、まんがちにな寄[ヨ]りそ。

「まんがち」とは、「自分勝手であること」という意味です。

我こそ先づ大[オオイ]に言ふ事のあるなれ。そも新體の歌のなりいでんとするや久し。三十一文字[ミソヒトモジ]の短歌[ミジカウタ]は最早當世[トウセイ]に行[オコナ]はるべきにあらず。さはとて五七、七五の調[チョウ]も、といまだ五七言[ゴン]をもいひ果[ハテ]ぬに、黙れ、無禮[ナメゲ]なり。我[ワレ]が、おれが、乃公[タイコウ]が、いな、さはさせじ、そこ退[ノ]かずや、此[コノ]痩公家[ヤセクゲ]、こゝな毛唐人[ケトウジン]、竪子[ジュシ]、しれもの、けつくらへなど、互[カタ]みに罵[ノノシ]りたつる程に、口は一つ聲は七色[ナナイロ]唐がらし。

項羽と劉邦が鴻門[コウモン]の会で、項羽の参謀である范増[ハンゾウ]が劉邦を殺せと進言するが聞き入れられず、劉邦はあやうく難を逃れます。それを知った范増は、くやしさのあまり、「竪子ともに謀るに足らず(考えの浅い者とは重大なことについて相談しても仕方がない)」と言います。

「ケツくらえ!」なんていう罵りかたが当時もあったんですねw

巫[ミコ]の顔、さては赤く、白く、青く、黒く、九色[ココノイロ]にも十色[トイロ]にもかはり、聲も細く、太く、かんばしりつゝ、しやがれつゝ、今は居ずまゐもやう/\猥[ミダリ]がはしうなりて、右[メテ]に左[ユンデ]にこけまろびつゝ、はては立ちあがりて、例の錦の袋に包みたるものふりかざし、狂ひに狂ひてかけまはる程こそあれ、あと一聲[ヒトコエ]高く叫びてけしとびて打臥[ウチフ]し、やがてそがままに息絶えけり。さても/\幽霊になりても、まんがちの争ひのやまぬ人心[ヒトゴコロ]や。

ついに、巫女さん、気絶しちゃいましたね……そりゃ、こんなに、入れ代わり立ち代わり怨霊に取り憑かれたら、体がもちませんよね……

というところで、「第八回」が終了します!

さて、巫女さんも、主人公も、このさきどうなるのか……

さっそく「第九回」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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