#879 「理想と造化」、「予言者と救世主」、「平等と差別」
それでは……本日も、没理想論争前哨戦の逍遥サイドから振り返ってみたいと思います。今日は、『小説三派』『底知らずの湖』につづいて「梅花詩集を読みて」を振り返りたいと思います。
逍遥は、詩人の世界を、「心の世界」と「物の世界」に分けます。「心の世界」は「虚の世界」にして「理想」であり、「理想」を旨とする者は「我を尺度」として「世間をはかる」。彼等を総称して「叙情詩人(リリカルポエト)」とし、天命を解釈する「一世の預言者」とし、「理想家(アイデアリスト)」とします。「叙情詩人」は、作者著大で、「理想」の高大円満であることを望み、一身の哀観を歌い、作者の極致が躍然し、万里の長城のようである。「物の世界」は「実の世界」にして「自然」であり、「自然」を旨とする者は「我を解脱」して「世間をうつす」。彼等を総称して「世相詩人(ドラマチスト)」とし、造化を壺中に縮める「不言の救世主」とし、「造化派(ナチュラリスト)」とします。「世相詩人」は、作者消滅し、「理想」の影を隠し世態の著しさを望み、小世態を描き、作者の影を空しくして、底知らぬ湖のようである、と言います。
逍遥が重きを置いているのは後者、ドラマチスト=ナチュラリスト=底知らずの湖のほうでしょうね……
のちに、逍遥は「烏有先生に答ふ」の「其の三」で、
と「虚実」という分け方を改めますが、
極めて大いなる叙情詩人は予言者で、極めて大いなるドラマチストは不言の救世主であることは今も信じていると言います……。
逍遥は、「梅花詩集を読みて」で、我が国には短歌・長歌・謡曲・浄瑠璃等あるが、一身の哀観を詠ずる理想詩にとどまり、現実を解脱できていないと言います。
そして、
技術と観念を兼ねそなえてはじめて詩人である。ドラマチスト=不言の救世主=造化派[ナチュラリスト]は自我を脱して各性情を霊写すべき大任があるため大技量を要するが、叙情詩人=一世の予言者=アイデアリストは観念を有形・総合・描写すれば足りるため技能を比較的要しない、と……。
そして、最後に「平等と差別」について言及します。
これが「梅花詩集を読みて」のおおまかな流れなのですが……
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!