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#850 「実」は差別、「虚」は平等、「実」は個性、「虚」は通性

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

今日から「第八回」に入ります。

「第七回」で近松門左衛門の霊が嘆いた内容に対して、主人公が返事をするところから始まります。

我れ見事[ミゴト]文壇をせおひて立[タチ]たる料簡となり、襟[エリ]かきあはせ咳拂[セキバライ]に聲を作り、答へけるやうは、虚と實と被膜の間に美術ありといふ足下[ソコモト]の高説[コウセツ]、面白くこそ承[ウケタマ]はり候[ソウラ]へ。げに虚は廣[ヒロ]うして限りなければ、一切の法相[ホウソウ]を掩[オオ]うて餘[アマリ]あるべく、實は狭[セモ]うして鋭[スルド]ければ、殊別[シュベツ]の法相躍如[ヤクジョ]として飛動[ヒドウ]すべし。實は差別、虚は平等、實は個性、虚は通性[ツウセイ]、詩人の本領[ホンリョウ]此の二字にとヾめたり。しかれども此[コノ]二字の境[サカイ]辨[ワキマ]へ易[ヤス]からず。如何なるを虚とし、如何なるを實とせんといふに、此阿呍[アウン]の陰陽[インヨウ]、拈華微笑[ネンゲミショウ]の秘密にして、證[ショウ]じ難きこと、中庸の二字のごとしと聞く。愚案[グアン]ずるに、形は虚妄[キョモウ]なるも妨げ無し。實なるべきは其れ只[タダ]理[リ]か。足下の作を見るに、其形おほかたは虚にして、其虚妄の太[ハナハ]だしきことシェークスピヤの太[ハナハダ]しきにも優[マサ]りたり。さりながら眞實[マコト]より出[イデ]たる虚[ウソ]の中[ウチ]には、實具[ソナワ]りて、夢の中に現[ウツツ]あり。名工の筆[フデ]に成れる神怪鬼魅[シンカイキミ]の畫[エ]の如く、形は虚なれど神[シン]に實あり。當世[イマノヨ]理窟家の詩を論ずるを聞くに、ともすれば杓子定規の七むづかしく、現在にあるまじきは詩の世界にもあるべからずの口悪く、禁制札[キンゼイフダ]いかめしく設け、一枝[イッシ]をかゝんには一枝を切りて、さながらに寫生[シャセイ]せよといふ者あり。

「禁制札」は、権力者が禁止事項を木札で公示した文書のことで、「禁制」の二字の書き出しから始まり、その下に禁制の及ぶ範囲、禁令内容の箇条書き、次に違反者への処罰文言と続き、最後に発給年月日と発給者の署判で結ばれます。「法律の一元化」や「警察制度の確立」や「新聞の普及」などによって、1874(明治7)年、「禁制札(高札)」の廃止が決定され、1876(明治9)年には完全に撤去されました。「法律」に関しては#081で、「警察」に関しては#110で、「新聞」に関しては#043で少しだけ紹介しています。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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