鷗外は、逍遥が詩の分類に用いた「叙情・世相」は、ハルトマンの言う「叙情・叙事」に通じ、またゴットシャルの「理想・実際」にも通じるが、ハルトマンはゴットシャルの分類は認めないと言います。
何を言っているのかわからなそうで、少しだけわかった気になるのは、先に没理想論争第一ラウンドの、鷗外の「早稲田文学の没理想」で、何を言っているのかさっぱりわからないこんな一文を読んでいたからです。
はじめは、ゴットシャルの「理想・実際」の別を否認するハルトマンの言説として登場したわけですね。
で、いよいよこのあと、没理想論争第一ラウンドに通じる、互いの「理想」観に関する相違点へと言及されるわけですが……
それに関しては……
また明日、近代でお会いしましょう!