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#849 父恋し、母恋し、批評家恋し!

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

第七回では、馬琴・西鶴に続いて近松門左衛門の霊が巫女に乗り移ります。近松いわく、ドラマの真の旨を得て、人間の本相を写しているのは自分を除いてほかにはいない。実用と美術とをひとつにした理屈詰めの評判は飲み込まぬ。理屈なしに面白くてこそ美術である。美術というものは実と虚と被膜の間にあるものである。もし実ばかりに偏れば、元禄時代でその命は尽きるが、虚のなかに実を書けば、花より近松と褒めるが証拠明白である。しかし、元禄から今日に至るまで、浄瑠璃の名はあれど、近松の大供養を行ない成仏させぬのは、なんとつれないことよ……。近松の長所はここであるという吹聴は、樽に水をはって口元の竹筒には極上醤油を注いでるような悪知恵の勝つ明治の当世のようで心懸かりである。あるいは日本のシェークスピアと、まくしかけての誉め言葉、嬉しいけれども、証拠をあげてもらえぬゆえ覚束ない。

幸[サイワ]ひ敵手[アイテ]が外国の故人との事なれば、大丈夫ではあらうなれど、権利義務のむづかしき世の中なれば、さかねぢに訴訟せられぬやう、よく/\敵手[アイテ]を調べて後[カラ]、いうてたもれ。是れは我れを思うてくれる其眞心[マゴコロ]に寸志[スンシ]の報い。檀那[ダンナ]を思ふ老婆心切[ロウバシンセツ]ぞや。又近頃は、元禄風[ゲンロクカゼ]の吹く序[ツイデ]に、我等が作所々[ショショ]にて翻刻せられ、八方に廣[ヒロ]がりしこと、妙法蓮華[ミョウホウレンゲ]の散りしがごとく、さては成佛の機縁熟せしかと一たびは喜び勇みしが、これとても一時の流行風[ハヤリカゼ]、翩々[ヘンペン]たる小冊子何百冊ひらめくとも、喩へば粉薬[コグスリ]の包紙[ツツミガミ]、熱下[サガ]りてはいと墓無し。夫れ如来のいみじき徳は其像の黄金[コガネ]にて作[ツクラ]れたまへるが故[ユエ]でなければ、等身に大[オオイ]なるが為でも無し。しかるに如来を尊[タット]くせうとて、徒[イタズ]らに黄金[オウゴン]の美を説き、等身の大[ダイ]を説かんには、如来きこしめして微笑あるべしや。我は元より如来にても菩薩にてもあるまじけれど、聲聞[ショウモン]か縁覚[エンガク]か、せめてたしかなる證據[ショウコ]を挙げて、佛[ホトケ]の品[シナ]を明[アキラ]かにしてくれたらば、得脱[トクダツ]の機の成[ジョウ]ずべきを、恨めしきかなや、誰ひとり、入蔵修行[ニュウゾウシュギョウ]の功績[コウツモリ]たる知識の中[ウチ]にだに、此引導試みんとするものもなし。滔々軽薄[トウトウケイハク]なる末法文人[マッポウブンジン]の中[ウチ]に、ひとり篁村[コウソン]居士といふ頼母[タノモ]しの優婆塞[ウバソク]ありけるに、如何なる魔風[マフウ]の彼[カ]の人をさへ吹𢌞[フキマ]はしけん、近ごろは我事[ワガゴト]を忘れてか、厭気[イヤキ]になってか、又は合間仕事の胴楽[ドウラク]か、曲でもなや曲亭穿鑿[センサク]、馬琴に肩をいれる心のつらさ知らぬか。

篁村とは、饗庭篁村[アエバコウソン](1855-1922)のことです。

つれなや、憎[ニ]くや。近松及び其著作」いつの日に成ることぞ。待つ身くるしき置炬燵[オキゴタツ]、熱心の炭団[タドン]灰となって冷[ツメタ]い世の人心[ヒトゴコロ]よなふ。我れも六道に輪廻の迷い兒[ゴ]、父戀[コイ]し、母戀し、批評家戀しとなくわいなふ。救うてたべ、阿彌陀佛、となくこゑ壇をふるひけり。

というところで、「第七回」が終了します!

さっそく、「第八回」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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