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#998 没理想論争とは何だったのか⁉

さて……「没理想論争」を読み終えた今、このブログは、#660までさかのぼります。そもそも、なぜ、「没理想論争」を読もうと思ったのか。

今から一年前、1890(明治23)年に発表された山田美妙の『明治文壇叢話』を読み終えたあと、目の前の1891(明治24)年へと通じる三本の道のいずれを選ぶかで迷っていました。

一本目は、山田美妙を文壇から葬った坪内逍遥(1859-1935)が森鷗外(1862-1922)と論戦を繰り広げた「没理想」論争の道……
二本目は、山田美妙と幼馴染の尾崎紅葉(1868-1903)、そして共に活躍した幸田露伴(1867-1947)の「紅露時代」の道……
三本目は、山田美妙の結婚相手の田澤稲舟[イナブネ](1874-1896)や、樋口一葉(1872-1896)などの「明治の女流作家」の道です……

で、これらの道の中で、「没理想」論争の道を歩むことにしたのです。

それにしても、「没理想」論争って何だったんでしょうね……

この論争が始まったとき、逍遥は32歳、鷗外は29歳だったんですよね……。読み終えた今、そのことに改めて驚いてしまいます!

はたして、「没理想」論争は、「未熟で未発達な哲学用語を駆使して、意義も方向性も論点もかみあわず、コミュニケーションに失敗した、東洋の詩人と西洋帰りの哲学者の対話」だったのか、「当時最新の哲学を取り入れ、文学の理想の高みを目指した、近代文学黎明期の、ふたりの若きホープの高尚な文学論争」だったのか……

そもそも…

「個人」も「絶対」も「形而上」も「主観」も「客観」も、論争中に頻出する単語ですが、これらは西周(1829-1897)が1875(明治8)年に出版した『心理学』や、井上哲次郎(1856-1944)らが編集し1881(明治14)年に出版された『哲学字彙』などで翻訳された、出来立てホヤホヤの哲学用語だったんですよね。いや、そもそも「哲学」や「理想」という単語そのものが、出来立てホヤホヤだったんです!出来立てホヤホヤの翻訳語で、出来立てホヤホヤの造語について論じあってるんですから、そりゃ、論点の食い違いやすれ違いが起きて当然ですよ。でもね、当時の、いち早く西洋を取り入れようとする慌ただしい学問の世界で、訳語や造語で用いるべき漢字や、そこに含まれる意味がどうやって形作られるのか、まるでそのときの様子を垣間見ているようで、非常に面白かったですよ!

で、この没理想論争から60年の月日が流れ…

1951(昭和26)年4月の『文学界』で、作家にして文芸評論家の正宗白鳥(1879-1962)が『「没理想」論争』を発表します。最後に、それのダイジェストを読んで終りにしたいと思います。

そのダイジェストに関しては……

また明日、近代でお会いしましょう!

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