それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。
西鶴の霊が自身を冷遇する現在の文界に怒りを込めた恨み節をまき散らしたことに対して、怨霊に取り憑かれた主人公は、迂闊な答え方をしては物笑いになると謹んで答えようとします。人間の身体は有限で、妄想は果てしない。人生五十年、やり場のない限りなき妄想に苦しみ、昼夜夢を見ぬことない。昼の夢は妄想の掃きだめである。汚物の中から疫病も湧けば、肥料もできる。学問の大発明も昼の夢の結果であるし、大議論も大詩篇も夢の中の寝言である。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!