それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。
今日から「第三回」に入ります!
巫女に乗り移った怨霊が、近年の作家の態度を嘲ったあとのことです。口
寄せを頼んだ主人公の「おのれ」は、怨霊が、ただの自慢オヤジだと悟り、なにを恐れることがあるかと強くなります。
たしか、二葉亭四迷も『小説総論』で似たような表現をしていましたよね。
「痔の治療じゃあるメェし、カンチョーカンチョーうるせぇってんだ!」
李笠は明末の劇作家である李漁[リギョ](1611-1680)のことです。李漁は、一般通俗の観点から戯曲本来のあるべきすがたをとらえ、『笠翁十種曲』で、恋愛や滑稽などの10種の戯曲(憐香伴・風箏誤・意中縁・蜃中樓・凰求鳳・奈何天・比目魚・玉掻頭・巧團圓・愼鸞交)にまとめました。李漁の作品は、井原西鶴(1642-1693)をはじめとした多くの戯作者に影響を与えました。
儒教の経典『易経』には、「積善の家には必ず余慶有り、積悪の家には必ず余殃有り」という一節があります。善行を重ねた家には必ずいいことがあり、悪行を重ねた家には必ず悪いことが起こる、という意味です。
アキシオムは「Axiom」で「公理」のことです。
「ガス燈」に関しては、#426や#542でちょっとだけ紹介しています。
ということで、この続きは…
また明日、近代でお会いしましょう!