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#933 「弁」を読みて「論」とし、「解」をもて「説」とする
それでは今日も坪内逍遥の「雅俗折衷之助が軍配」を読んでいきたいと思います。
前には孟浪筆を下して、一向わが心の實況を知らせまく欲りせしかど、今は論證を精到緻密にして、譬へば飛樓雲梯[ヒロウウンテイ]を具へ、櫓轒轀[ロフンオン]を修め、幾閲月[イクエツゲツ]の後に於て、器利く兵強き将軍が審美軍を、徐[オモムロ]に迎へまく欲りせざるを得ず。
「飛樓」とは、城内に飛び込むための背の高い移動楼のこと、「雲梯」とは、城壁を登るための折り畳み梯子を備えた戦車のこと、「櫓」は、やぐらのこと、「轒轀」とは、城壁を破る槌を装備した戦車のことです。
古代中国の兵法書『六韜』には、こんな一文があります。
凡そ三軍に大事有れば、器械を習い用いざる莫[ナ]し。城を攻め邑[ユウ]を囲むには、則ち轒轀[フンオン]、臨衝[リンショウ]有り。城中を視るには、則ち雲梯、飛楼有り。三軍行止[コウシ]するには、則ち武衝[ブショウ]、大櫓[タイロ]有りて、前後拒[フセ]ぎ守る。
同じく古代中国の兵法書『孫子』には、こんな一文があります。
百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈する者は善の善なる者なり。故に上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む。攻城の法は已むを得ざるが為なり。櫓轒轀を修め、器械を具うること、三月にして後に成る。
続きを読んでいきましょう。
将軍は我が語義の辨を読みて論とし、又解をもて説とし、わが没理想を笑ひて一面審美論といひ、わが評注の緒言幾行を取りて、わが形而上論なりといはれたれど、案ずるに、こは是れ将軍が「不學なる逍遥子」を励まさん為の方便戯論か。
皮肉むきだしですね!w
われは、かりそめにも将軍が一面のみによりて全體を推測[オシハカ]り、さて物せられつる臆測の批評を、提喩的[シネクドキカル]批評ぞとも、又一面批評とも名づけんとはせざるなり。簡は智の精とかや、若し果たして然らば、我が如く庸劣にして、わが如く文に嫻[ナラ]はざるものゝいふことは、おのづから冗漫ならんずらんは理[コトワリ]なれば、千万言ばかりにては、かりそめにも我が理想の全體を、頓にいひ盡くす能はざるや、将軍が敵智もまた其の分解[イイワケ]を容れたまはん。わが一時安處の理想は、他日「没理想」と題したる一巻の書をあらはし、その中に於て、事審に解説し候はん。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!