#944 主観見えたり、ではなく、理想見えたり!
それでは今日も坪内逍遥の「雅俗折衷之助が軍配」を読んでいきたいと思います。
「應擧」は絵師の丸山応挙(1733-1795)のこと、「團洲」は九代目市川団十郎(1838-1903)のことです。1878(明治11)年、河竹黙阿弥(1816-1893)作の『西南雲晴朝東風[オキゲノクモハラウアサゴチ]』(通称『西南戦争』)が、新富座で初演を迎えます。団十郎は、西郷隆盛をモデルとした西條高盛を演じ、西郷の号「南洲」をもじって「團洲」と呼ばれました。
「米人エヷレット」に関しては、これが誰なのか全くわからなくて、もしかしたら、ハーバード大学学長となったのち、上院議員を務めたエドワード・エヴァレット(1794-1865)のことかもしれません。エヴァレットは政界を引退後の1858年、ジョージ・ワシントンの邸宅「マウントバーノン」を保存するための募金活動に乗り出します。エヴァレットは合計で129回の演説を行い、6万9064ドルを保存活動を行なっていたマウントバーノン婦人協会に寄付します。エヴァレットは『The New York Ledger』に保存キャンペーンの進捗を連載しますが、これらがまとめられて、1860年、『The Mount Vernon papers』として出版されます。もしかしたら、このなかに、上記の文章があるのではないかと思って、調べてみたのですが、見当たらないんですよねぇ~。エヴァレットはハーバード大学学長以前は、ハーバード大学のギリシア文学の教授だったので、上記のようなことを言いそうなんですけど、もしかしたら、エドワード・エヴァレットではなく、アメリカの作家のエドワード・エヴァレット・ヘイル(1822-1909)のほうなのかもしれません。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!
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