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#823 巫女に乗り移った霊が、近年の作家の態度を嘲りはじめた!

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

いよいよ巫女による怨霊の口寄せが始まります!「天清浄、地清浄、内外清浄、六根清浄……」唱えているうちに、声音ふるえて、唇は白くなっていきます。そして、巫女は語り始めます。

我が再生を渇仰[カツゴウ]するものは、思ふに、其の他にも雲よ、霞[カスミ]よ、心地よやな。我が書き棄[ズ]ての日記[ニッキ]世に知られて、我が勤勉に服するものも、我性行[セイコウ]のあらましを洩れ聞きて、我量[リョウ]狭しと譏[ソシ]りながらに、我が大我慢に服するものも、いづれか陰[ヒソカ]に我れを仰ぎ、我を異[イ]とし我を景[ケイ]するものならざらん。汝の如き嗚呼[オコ]のしれもの、偶々[タマタマ]勧懲[カンチョウ]の非なるを論じて、我着想を嘲[アザケル]ると雖も、終[ツイ]に我技[ギ]を貶[オト]すこと能はず、心暗[ヒソカ]に我腕に服せり。汝もまた一轉[テン]せば我釜の内の小魚[ジャコ]なるべし。見よや、見よ、昔は我を非[ソシ]れりしものも、今は漸[ヨウヤ]く軽忽[カルハズミ]の夢醒めて、先非[センピ]を悔い、直譯[チョクヤク]小説の熱下[サガ]り、元禄風[ゲンロクカゼ]の吹[フキ]やみて、ありのすさみに憎かりし我が亡魂[ナキタマ]、希物[マレモノ]のなくてぞ今は恋しきか、隠然たる天下の大勢[タイセイ]、我為[ワガタメ]に美を鳴らさんとす。彼の明治の小説の中[ウチ]に勧懲の主旨を注げよといふものは、元より我黨[トウ]の遊軍にして、善即美なりと説けるものも、一度[ヒトタビ]さしまねかば我旗下[キカ]とならん。スコットと叫び、プーシキンと呼び、兼[カネ]て我名[ワガナ]を唱ずるものも、皆これ我為に麻幹[オガラ]を碎[クダキ]て招霊[ショウリョウ]の迎火[ムカエビ]を焚くものにして、時代小説[ジダイモノ]といふ閧聲[トキノコエ]をあげて天正元和[テンショウゲンナ]に遡り、英雄豪傑を描かんと試むるものも、見よ/\我再生せん日とならば窃[ヒソカ]に我作のあちこちを披[ヒラ]きて、財を求めんとする輩[ヤカラ]ならん。新體[シンタイ]の歌を興[オコ]さんとする者も頻[シキリ]に其材[ザイ]を舊史[フルキフミ]に取り、多くは其句調を七五に因む。これもまた我魂[タマ]を招くものなり。右[ト]にも左[カク]にも、わが魂[タマ]のよみがへらん日は咫尺[シセキ]の程にあり。悦ばしや、快[ココロヨ]やなふ。勢ひのかくの如き中[ナカ]に、頑[カタクナ]にして鈍[オソ]きこと汝の如き輩のありて、我理想を低しと誹[ソシ]り、我観念を卑[イヤ]しと罵る。

作家らしき者の魂が乗り移ったのか、ずっと近年の作家の態度を嘲ってますね…

而[シカ]も些[チト]の證[アカシ]を示さず。恰[アタカ]も瞽家[コケ]が芝居を観て藝を是非する所以を知らず、さら/\としてめでたかりき、もう一息ほしかつたと讒語[タワゴト]ぬかすと一般也。

瞽家とは、目の見えない人のことです。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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