それでは今日も森鷗外の「逍遙子の諸評語」を読んでいきたいと思います。
逍遥は、想に縁りて派を立てる、と鷗外は言います。類想派の作家にむかって、個想派の作を求めるのは、梅園にてこの花は桜ではないと笑うようなものである。類想家の作も個想家の作も同じ桜であるが、一方は日陰に咲いて色香少なく、一方はインスピレーションの朝日をうけて匂い常ならぬ花のようなものである。逍遥は、花に慈なるに過ぎて、風を憎むこと甚だしいのではないか。もし批評の上に褒貶がなかったら、文界は荒野となるだろう。
ヨハネス・シェル(1817-1886)はドイツ出身の作家・文芸評論家で、多くの歴史書を出版しました。鷗外は、『新しい歴史』(1884)や『人物と歴史』(1886)という歴史書などを所持していました。
「大和魂」なんて、明治の頃から使われていたんですね……
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!