見出し画像

難病営業マンの温泉治療㉕【台温泉~馬場温泉】

 <前回はこちら>

 5月15日。花巻市鉛温泉での3泊逗留を終えた私は、同市内の「台温泉」にいた。これから向かうのは100キロ南、湯治のメッカ鳴子温泉。例によって15時チェックイン時に合わせ時間調整、こちらに立ち寄ることに。

 全国的知名度はそれほど高くないが、坂上田村麻呂の開湯伝説が残り、1,200年の歴史を誇る名湯だ。朝6時から営業している「精華の湯」はこの温泉街では唯一の日帰り施設。露天風呂などを設けておらず、内湯のみだけの小さな浴場だが、地元民からも人気の高いスポットとして知られる。


 発券機で入浴料500円を払いチケットを箱に入れて入場。
「ただいま席を外しております」という案内が掲示されているが、どうやらいつも誰もいないようだ。休憩所もあるようだが閉鎖されていた。

 100円リターン式のロッカーに荷物を入れ脱衣所へ。スライドドアをオープン。視界がままならぬほどの湯気が立ち込め、鼻腔を硫黄臭が突き抜けた。颯爽とかけ湯を試みるもなかなかの熱さ。無色透明で見た目はおとなしいが、何せこちらの源泉は96度。勿論温度調整されているが、44度ほどか。短期決戦必死だ。

 久々の高温ダイブ。加水はされているものの源泉パワーは十分だ。一気に汗が噴き出した。10分持たずに浴縁にへたり込む。熱気がこもる浴室内は汗が引かない。冷水シャワーで身体を打ってから退湯。脱衣所でも汗は流れ続けていた。立ち寄る予定のなかった小さな温泉街、ビッグインパクト残してくれた。 
 
 このようにまだ見ぬ良泉が、日本全国にはゴロゴロと転がっている。そう思うと病に屈する訳にはいかない、雲外蒼天を信ずるべく前を向かねば。

 精華の湯を出た後は周囲の散策。安価で、自炊ができる湯治場などがないかを見て回る。だが残念なことに、かなり廃れてしまった感のある温泉街。スマホの検索窓に「台温泉」と入れると【廃墟】とサジェストされてしまうほど。

 恐らく20以上はあったかと思われる旅館やホテル。明らかに廃業しているものもあれば、うっすら電気が点いているのが確認できるものもある。だがこの時期とあってか、一人客素泊まりを受けてくれそうな宿は見つからなかった。 


 昼食は「精華の湯」に隣接する手打ちそばの名店「蕎麦房 かみや」へ。花巻と言えばわんこそばだが、男一人旅にとっては無縁。こちらではざるそばをいただく。会津産のそば粉をつなぎ無しで打つという本格派だ。温浴施設隣接と甘く見てはいけない、十割だが嚙み応えのある上品系だった。

 花巻では結局大沢温泉・鉛温泉・台温泉と3ヵ所の拝湯。湯治場あり、美食あり、いつかまた再訪することとなるだろう。

 

 4月下旬より開始した湯治。出発時にはハッキリと期限は決めておらず、源泉と宿との相性を見ながら体調の回復を期待していた。全身痛と不眠症の改善、何よりPTSDが出てしまうと仕事への影響が大きい。

 ここまで約3週間。高湯温泉(福島)⇒大沢温泉(花巻)⇒鶯宿温泉(岩手)⇒玉川温泉(秋田)⇒後生掛温泉(秋田)⇒鉛温泉(岩手)を投宿。
 
 手を焼いた苛烈な全身痛と睡眠障害はかなり改善が見られた。出発前は食事とトイレ以外ではベッドから動けない日が度々あった。2~3日眠れないのは当たり前、薬は全く効かない状況だった。
 
 PTSDは旅中何度か発症したがここ10日ほどは収まっている。一時社会復帰を諦めたほどの病状だったが、このまま快方に向かえば、また普通に働けるかもしれない。日々そんな期待は高まっていった。そして、遂に鳴子の地へとやってきた。

 約2週間前震度5強を記録したこの地、サッと街を通ると以前と変わらない街並み。甚大な被害には至らなかったようで愁眉を開く。
 
 到着は14時。まずは宿近くにあるコインランドリーにて貯まった衣類を洗濯にかける。時間は40分。この待ち時間にぴったりの湯がある。

 「馬場温泉 共同浴場」

 こちらは東鳴子の珍湯名湯の一つ。隣接の馬場温泉は一般宿舎で自炊も可能な宿。その敷地内に同居する一見物置のような湯小屋がある。何とこの建物登録有形文化財に認定されているのだという。恐らく日本で最も簡素な文化財だろう。

 重厚感のある横引き戸を開けると3人ほどが浸かれるコンクリ浴槽が一つ。脱衣所との間仕切りはなく洗い場やシャワーもない。ウーロン茶色の源泉がドバドバ湯に落ちる。

 見た目や外観も奇異的だが、ダイブするとその源泉は、、更に強烈だ。


                           令和3年5月16日

画像1


〈次回はこちら〉


いいなと思ったら応援しよう!

ヨシタカ
宜しければサポートお願いいたします!!