長野県 諏訪~蓼科温泉逍遥③完結【渋御殿湯】
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※この記事は2020年8月の日記に加筆修正したものです。
「渋・辰野館」を出て向かった先は標高1,880m、通年営業している温泉としては最高地クラスの「渋御殿湯」。こちらも武田信玄公の傷病兵を治療したと言われるまさに隠し湯。
坂路を登っている道中、鹿の群れが道を横切り急ブレーキ。
秘湯を巡っていると野猿は度々見かける。もはや見慣れてしまい何とも思はないが、鹿は今でも高揚してしまう。
路肩に車を停めて、スマホを構えワンショットを狙いに行く。じりじりと接近するも気配に気付かれてしまい、脱兎の如く奥へと逃げられてしまった。ズームアップした粗い画質、鹿4頭の尻しかを僅かに捉えることしか出来なかった。
15時半「渋御殿場」に到着。こちらは旅館というより山小屋に近い。
この手の宿は旅行サイトの口コミが賛否分かれやすく、一定のサービスを求める客層には不評を買ってしまうこともあるのだろう。
電波なし、水洗トイレなし、食事は・・・
愚生、湯治目的。その辺りは覚悟の上。「山の宿だから仕方ない」という広い心を持ちたいものだ。以前も女性グループ客が何やらロビーでひと悶着やっていたのを見た。事前に宿の情報を集めない客にも落ち度があるような、、どうしても宿側に同情してしまった。
ここには貴重な足元湧出泉があり、特に31度の源泉は身体が浮き上がりそうなほどの勢いでボコボコと簀子から気泡が上がってくる。これを堪能するためで、少々の不便を伴うものの素泊まり6千円代は高いとも思えない。
チェックインの後、2階の部屋で暫し休憩。お茶でも飲んで一息つこうとしたその時だった。今度は窓から外を見渡すと対岸にイノシシ?の親子がいる。休む間もなくスマホ片手にロビーとんぼ返り。
私 「あれは何ですか?」
館主 「二ホンカモシカの親子です」
鹿に続いてカモシカ。今度こそは撮り逃すまいと接近。
宿からも宿泊者たちがワラワラと集まってきた。なかなか見ることのない野生のカモシカ。鹿と違って動きは遅く、人が集まっても全然逃げる気配がない。
「頼む、こっちを向いてくれ」
一心不乱にシャッターを切り続けチャンスを狙ったが、願えば願うほどカモシカ親子は尻を見せる。一人二人と部屋に戻っていき、最後は自分一人に。残念ながら最後まで正面を捉えることは出来なかった。
部屋に戻り今度は風呂。この宿は電波がないので、湯に浸かるしかやることはない。浴衣に着替え源泉へ。温湯浴槽(26度と31度)二つと上がり湯(加温40度ほど)で長湯を堪能する。
杉並区から来たという70代の男性、何度か一緒になった。
5年前にゴルフ中に膝を痛め、年に2回1週間の湯治をここで行うそうだ。歩行困難な状況から回復し、今は日常生活には困らないという。
この方も素泊まりで、食材がなくなると山の下まで降りスーパーで買い出しに行くそうだ。湯巡り経験は私より長いもよう。全国の湯を回ったそうだが、こちらの源泉がひざ痛には最も効果があったという。
一年で一番熱い時期、温湯が心地よい。
浸かると出るタイミングが掴めず、気が付くと1~2時間経過。そろそろ出ようかと思ったその時、今度は草加市から来たという親子と一緒になった。
ここで1泊した後は、茅野市の池の平ファミリーランドで遊び、湖畔のホテルに宿泊するのだという。
小学2年生になるという少年。彼にとって31度の源泉浴槽はプールのようなものだ。親御さんと一緒に3つの湯船を交互に回る。
「なんでこの湯は白いの?」
「温泉て身体に良いの?」
質問は私に向けられる。自粛で登校ができない子供にとってはこれが一大イベント。遊び相手に徹した。
この日既に「旦過の湯」、「毒沢鉱泉」、「渋辰野館」を経てからの4湯目。「もう出るね」と話しても、「まだ入ろうよ!」と言って帰してくれない。結局、時間ギリギリまで(こちらの湯は22時でまで)で少年と一緒に。こちらの湯に着いてから、4時間ほど浸かることとなった
翌朝、荷物を纏め宿を出ようとすると少年と親御さんが見送りに来た。
「昨日は息子がお世話になりました」と、お母さん。茶菓子を沢山もらい、岐阜県へと発った。
「この温泉は凄いんだよ」
「足元から出る温泉は貴重なんだ」
「昔、お侍さんが傷の治療をしたんだ」
ひと夏の思い出として、少年の記憶に一つでも残ってくれればそれでよい。温泉ソムリエの端くれとして、最低限の役務を全うした。
長時間酸性硫黄泉に浸かり続けた結果、肌はボロボロ、粉ふきいも状態に。まあ社会貢献は出来たかな。
令和2年8月11日
おわり