同僚と、湯治に行く⑥最終話【旅の最後に】
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6泊7日、初めての相乗り湯治も最終日を迎える。
一人の湯治よりも時間は早く流れた。アクティブに動いたからだろう。釣りにトレッキングにサイクリング。病に伏してからは一人で出来ないことばかりだった。
この間、後輩Hとは色々なことを話した。
「家にいることがストレスになってきている」
この意見は合致した。昨年4月より私達の部署でもテレワークが始まり、安らぎの空間のはずの自宅が「職場」と化した。
通勤ストレスがなく、どこでも仕事が出来るのは利点と言える。だが昨年から部下を抱え、業務負担の大きかった後輩Hは、ほぼ休むことなく会社PCに向き合う日々だったという。
症状は違うが、細かいストレスは激痛と痒みになり、互いの身体に襲い掛かった。彼には湯治という1週間の夏休みが必要だったのだろう。
「今回の旅は100点です!減点するところが全くない」
「僕はまた必ずここに来ます!」
Hからその言葉を聞いた時は素直に嬉しかった。
約一年前、彼は北海道の最北地に赴き湯治に失敗した。
ステロイド治療を止め、温泉に一縷の望みを託して発ったH。私は彼が元気になって帰ってくることを信じて疑わなかった。
結果的に皮膚病が悪化し、無念の帰京。
私は、Hが温泉を嫌いになってしまうのではないかと思った。
温泉が好きで、何度も湯治により窮地を救われてきた私にとっては、これほど悲しいことはない。
だが彼はまた私を信じ、磐梯熱海へと付いてきてくれた。
今回は医師の薦める温泉ではなく、「ヨシタカさんが効く」と実感できる源泉へ、連れて行ってほしいと。
私が昨年秋に倒れた時、数十名の部員の中で最も私の身を心配してくれたのはHだった。時期が時期なだけに入院中に面会は禁じられたが、退院後はいち早く私に会いに来てくれた。互いに長患い、闘病の辛さを誰よりも分かってくれたのだろう。
この7日間で明らかに綺麗になったHの肌、湯元元湯での湯治効果は私の想像を遥かに超えるものだった。少しは恩返しが出来たような気がした。
「さあ、これが仕上げだ!」
午前9時、お世話になった宿をチェックアウト。1分後には「湯元元湯」到着する。ラストダイブが、あまりにも美しく決まった。
断薬直後は、勤務中あれだけ痒くて辛そうだったのに、この元湯にいるときは、彼はたびたび寝落ちしていた。
私の脚も1日2時間の入浴とリハビリを経て、トレッキングとサイクリングができるまでに回復。激痛から一歩も動けなくなった1年前、とてもこんな姿は想像できなかった。
元湯を出て、締めは温泉神社へ。到着した時と同じく、五円を投金し立礼。
「有難うございました」
こちらに来た時、Hは「治りますように」と祈念していたはずだ。
私は湯治の際、毎日必ず参拝する。次第に祈念から感謝へと、その胸懐は移りゆく。源泉のパワーに圧倒され、最後は謝念が沸々と込み上げるのだ。
やはり効いた元湯源泉。あの青々とした無色透明の源泉には、いったい何が入っているのか。それはきっと、今後いくら科学が進歩しようと解明されることはないだろう。
旅の最期、郡山から埼玉方面へ。
私 「昼飯、何食べたい?」
H 「ラーメン食べたいです!」
私 「そんなもの食って本当に大丈夫か?」
H 「大丈夫です。3か月に一度なら、それをここで使います」
彼は昔、ラーメンが好きで二人でよく食べに行った。それも、横浜出身の彼らしく「家系ラーメン」だ。一緒に神田で食べた「わいず」という店が美味かったのを覚えている。
だが、昨年からの「脱ステロイド」による糖質制限。米やパンは勿論、麺類は一切口できなかった。もう一緒にラーメンを食べることはないと思っていた。
「せっかくの湯治が台無しになっても、責任取らないぞ(笑)」
私は新白河にある、隠し玉的に重宝している中華屋に彼を連れて行った。
壮絶に旨いのに、何故か食べログの評価は低く、各種口コミサイトでも飛びぬけた高評価は見当たらない。
新白河駅から東へ、表郷にある「味の一番」。
かなり年季の入った外観、ボロい。だが何を食っても味は一級品だ。特に「札幌味噌ラーメン」はここでしか味わえない独特の代物。
「ズルズルッ!」
H 「めちゃくちゃうまいです」
私 「だろ。何が入ってるのかわからないけど」
H 「味噌ラーメンぽくないですけどね。」
具材はもやしとニラ、茹で卵。ニンニクはかなり効いている。
想像する味噌ラーメンとはかなり違い、薄いのか濃いのかすらよく分からない。食べ始めると夢中になり、Hは丼底が見えるほどスープを飲んだ。
久々にHと食べたラーメン。旅の締めには、十分過ぎるほど美味だった。
白河インターから東北道へ。二人はまた、それぞれ闘病というリングに戻って行く。いくら応援しようと、お互いの辛さは分かってやることは出来ない。闘病するときは一人だ。孤独で、辛くて、寂しく哀しい。
私は激痛との戦いに疲弊すると、「湯治」に出る。これまで幾多の病院で処方された薬の数々、それらが全く効用がなくても、「源泉」は必ず力を貸してくれる。
一週間連れ添ったHも、それを実感できはずだ。
最後の懐刀、これがあるのとないのとでは、闘病に対する心構えが随分変わることだろう。
解散したその日、Hからlineが届いた。
「奥さんから、『肌綺麗になったね』と言われました!!」
「ありがとうございました!」
(感謝するなら、俺じゃなくて嫁さんと源泉だよ。また行こうな)
令和3年9月20日
『同僚と、湯治に行く』 おしまい