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【書評】正常と異常の境目とは 『キャビネット』キム・オンス著|加来順子訳

ものすごく足が速ければオリンピック選手で、ものすごく手が長ければビックリ人間だ。才能とは、個性とは、体質とは、どこまでが正常で、どこからが異常なのだろうか? キム・オンス著『キャビネット』は、正常と異常、現実と虚構の境界をぼかして読者を煙に巻く。

〈ポスト人類〉相談窓口

主人公のコン・ドックンは〈安定が一番〉という母の遺言に従い、とある公企業になんとか就職を果たした。だが、百三十七倍の倍率を突破して、いざ職場に行ってみれば、仕事とよべる仕事はほとんどなく、待っていたのは〈犬のガムでもクチャクチャ噛みたいほど〉の退屈な日々。暇を持て余したコン・ドックンは、資料室の隅にあったキャビネットの旧式錠を手慰みに開けてしまう。そこに眠っていたのは、現在の人間の定義からはずれたポスト人類「シントマー」の記録だった。彼は、キャビネットの管理者たるクォン博士に、記録を盗み見たことを咎められ、いつの間にか博士の助手として、シントマーたちの相談窓口を引き受けることになってしまう——。

現実と虚構、正常と異常

本作では、実在の人物であるオーギュスト・シパリの物語に始まり、シントマーたちとの相談記録、主人公の身に起きた出来事などが、連作短篇の構造でまとめあげられている。最初の項を読み終え、あれ、もしかしてこれは実際に起きたことなのか? と調べたときには、もう作者の罠にかかっている。もしかしてこれも本当か? こんな人がいてもおかしくないぞ? と、あらゆるエピソードに対して疑心暗鬼になる。主人公の諧謔的な語り口にのせられ、ページをめくる手は止まらないが、読めば読むほど現実と虚構の境目が薄まって、意識はキャビネットの中へと入り込む。
 シントマーは、その身に尋常ならざる変化を抱えたポスト人類だが、彼らの悩みは、わたしたちの悩みと地続きだ。たとえば、極めて長い期間「トーポー」という睡眠状態に入ってしまうトーポーラー。記憶をきれいさっぱり書き換えてしまい、何があったか思い出すことができない、メモリー・モザイカー。一所懸命に時間を管理しすぎて、時間が消えてしまう、タイム・スキッパー。男性の性器と女性の性器を持ち合わせ、ひとりで妊娠できるネオヘルマフロディトス。責任から逃れて眠り続けたい、悲しい記憶を忘れてしまいたい、気づいたら時間がなくなっていて空しい、性別というくくりが苦しい——そんな思いには迷いなく共感できる。もしも悩みが行き過ぎた先で身体が進化するとしたら、わたしもいずれシントマーになるのかもしれない。
 シントマーではないはずの主人公やクォン博士、同僚のソンさんなどの物語を読めば、正常と異常の境界はさらにあやふやになっていく。百七十八日間、ナッツをつまみにビールだけを飲み続けるのは「人類」といって差し支えないのか? 千皿のお寿司を平らげる力士は? 自分たちを宇宙人の子孫と称し、宇宙に無線を送り続ける人々は? 猫になりたい男は? ものを捨てられない人や、仕事から手を離せない人は? どこまでが人類で、どこからがポスト人類? ポスト人類が標準の人類になるのは、一体いつだろう?
 いつの時代にも、どの社会にも、異常と判じられる人々がいる。そんな人々を、なかったことにしたり、扇情的に煽ってむやみに消費したり、その異常さを矯正しようとするのではない——ただ話を聞き、記録すること。記録を読むこと。その意味と重要性を、深く考えさせてくれる小説だ。

舌にクる小説

また、余談ではあるが、強烈に舌にクる小説であることも付け加えておきたい。おかわりがとまらなくなるハマグリ汁、熱々のソルロンタン、八十貫の高級お寿司と日本酒、布巾を煮出した味がする煮干しわかめスープ……涎がでそうなものから、絶対に口にいれたくないものまで。あちこちに散りばめられた食の描写が、突飛に思えるエピソードに、匂いや味、確かな手触りを与えている。口の中まで忙しいユニークな読書体験を、ぜひ堪能してほしい。


※2021年12月5日に開催された豊崎由美さんの『翻訳者のための書評講座』で提出した原稿を、WEB用に改稿したものです。


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