みんなで公立小学校教員になろう!(みん教)

30代脱サラして東京都公立小学校教員に。 民間出身の私にとって学校の仕事、公務員の仕事は謎だらけ。教員のなり手不足も納得だ。 一人でも多くの方に、教員の道に進んでもらいたい一心で発信します。

みんなで公立小学校教員になろう!(みん教)

30代脱サラして東京都公立小学校教員に。 民間出身の私にとって学校の仕事、公務員の仕事は謎だらけ。教員のなり手不足も納得だ。 一人でも多くの方に、教員の道に進んでもらいたい一心で発信します。

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ノートをチェックする教員は要らない

学校では子どもたちが授業で使用したノートを、授業後にチェックすることがある。 これは特に珍しいことではない。 むしろ、ほとんどの教員が当たり前のようにやっていることだろう。 教員は子どもたちのノートを確認して、しっかり授業に取り組んでいるか、ノートの書き方はどうか、授業中に何を考えたかなどを見とり、その子の評価に反映させる。 もちろん、授業中の子どもたちの思考を見とるのは、とても重要であるし、文章の書き方や漢字の使い方などの技能的な部分も評価することは可能だろう。 しか

    • 「心がどこにあるのか」を考えない教員は要らない

      教育にとって人の心とはとても重要である。 教員と子どもの関係、子ども同士の関係においても重要であるし、子どもの心を育てるという意味でも重要だ。 学習の中でも「人物の心情を考える」場面はたくさんある。 では、人間の心は体のどこにあるのだろうか? 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは 「心は心臓にある」と言った。 そして、ヒポクラテスは 「心は脳にある」と言った。 確かに感情の変化によって心拍が変化することから、心が心臓にあると考えられてもおかしくはない。 しかし、17

      • ミスを恐れさせない教員は要らない

        PISAと呼ばれる生徒の学習到達度調査の中で行われる生徒質問調査の結果から、OECD諸国の中で日本は最も失敗を恐れる程度が高いとされている。 このことで、日本の企業や学校は『失敗を過度にを恐れる日本の若者』というイメージを認識せざるを得なくなった。 そして、失敗が恐いから挑戦することを諦めてしまう。そんな消極的な若者像を問題視するようになってきた。 これを受けて、世の中の企業は、若者が挑戦しやすい雰囲気や仕組み作りに取り掛かっている。 失敗を指摘したり、プレッシャーを

        • 言い換える教員は要らない

          教員には年に3回(二期制の学校は2回)通知表の所見欄なるものに、子どもの学校での様子や評価を文章にして載せるという仕事がある。 最近では、教員の働き方改革のために、所見欄の字数を減らしたり、個人面談を兼ねて所見欄の記入を省く学期を設けたりすることもある。 実は保護者は所見欄などほとんど興味がないという現実はさておき、 子どもたちのことを保護者に伝える数少ない機会の内の一つだ。 所見には、基本的には子どものポジティブな情報を中心に書くことが通例である。 「〜ができるように

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        ノートをチェックする教員は要らない

          課題によってやる気を引き出す教員は要らない

          今年も更に不登校が増えたというニュースが報じられている。 不登校の一番の原因は『やる気が出ない』ことだそうだ。 教員らは、子どもたちにやる気を出させるために日々工夫を凝らしている。 少し頑張れば達成できそうな課題を設定して、スモールステップを意図的に作り出すことで子どものモチベーションを引き出そうとしたり、 子どもの極々軽微な成長を見逃さずに称賛することで自信をつけさせたりするなど、あの手この手と繰り出している状況だ。 これは、指導のテクニックとしては正解だ。 しか

          課題によってやる気を引き出す教員は要らない

          気持ちと行動を切り分けない教員は要らない

          日本人は心を大切にする。 おもてなしの精神の根幹にも繋がる日本の大切な文化と言えよう。 だから、日本人は「行動には心が伴っていなければならない」と考える者が多い。 教育の現場においても、ほとんどの教員は、子どもたちに『行動に気持ちをこめること』を教えているだろう。 挨拶や感謝の言葉、謝罪する場面 授業を受けるときの態度、掃除の仕方、 教員らは、ありとあらゆる場面において、子どもたちの行動に心が伴っているかを確認している。 もしそれが伴わなければ、 「どんな気持ちで

          気持ちと行動を切り分けない教員は要らない

          頼られたい教員は要らない

          「良い先生に出会えていれば、、、」 という言葉をしばしば耳にすることがある。 これは努力不足や低能な自分を受け入れられず、それをただ他人のせいにしている卑怯な者のセリフだ。 「良い先生に出会えてれば、もっと字を綺麗に書けるようになってた」 「良い先生に出会えてれば、算数を嫌いにならずに済んだ」 「○○な先生のせいで運動が嫌いになった」 こんな風になんでもかんでも教員のせいにたれてはたまったものではない。 しかし、一番問題なのは、学ぶ側が先生を選べないと思い込んでいるこ

          空気が読めない教員は要らない

          日本の社会人スキルとして「空気を読む」という能力は非常に大切である。 グローバル社会における、空気を読む日本人の是非についてはともかく、日本で生活する上で空気を読む力は必須であろう。 教員には学級経営をする上で、この「空気を読む」という力が絶対的に必要である。 では、空気が読める人間とはどのような人間か。 相手目線で物事を考えることができ、その場の状況や人の表情をよく観察して的確な発言や行動をすることができる者のことだ。 その場の状況を理解するというのは、その場を構

          学習指導要領や教科書を疑わない教員は要らない

          リーダーの一番の仕事は決断する事である。 誰が言った言葉か忘れてしまったが、今週私の耳に残った言葉だ。 仮に教員を学級のリーダーとするならば、教員は子どもたちに日々何を伝えるか、何を考えさせるか、どんな力をつけさせるか、決断しなければならない。 しかし、現代の教員は学習に関するこれらの決断の多くを他に委ねている。 と言うよりも、公教育の仕組みがこれらの決断を教員から奪っていると言った方が正しいかもしれない。 教員からその決断を奪う根拠となるのが学習指導要領である。 学

          学習指導要領や教科書を疑わない教員は要らない

          人に任せられない教員は要らない

          教師の働き方が社会問題となって久しい昨今、未だに毎日長時間の残業を余儀なくされている教員ばかりだ。 学校で働く教員の中には自分の仕事を人に頼んだり任せたりすることが苦手な者が多いというのも、状況が好転しない原因の一つである。 さらに問題なのは、なぜ人に頼んだり任せたりすることが苦手なのか、その真の理由を本人もよく分かっていないということだ。 近年、各学校に配置されるようになったスクールサポートスタッフのおかげで、ワークシートの印刷やテストの丸つけ、児童の作品の掲示、児童

          やりがいも待遇も求める教員は要らない

          「教員はやりがいのある仕事です。」 採用一年目の初任者研修で、様々な講師からこのセリフを聞かされた。 その後も本やメディアの特集などで教員の仕事のやりがいについて語られているのを目にする。 やりがいとは、『仕事をすることで精神的に満たされる理由がある状態』ということだ。 例えば、業務を通じてスキルアップができるとか、 達成すべき目標があり、達せられたかどうかを確認することが容易あるとか、 上司や仲間と信頼し合える関係があるとか、 簡単には解決できない課題に取り組むなど、

          やりがいも待遇も求める教員は要らない

          返事がないことを見逃す教員は要らない

          学校の中で子どもたちは、教員から様々な注意や指導を受ける。 廊下を走っていれば『歩きなさい』 授業中おしゃべりをしていたら『ちゃんと聞きなさい』 ぼーっとしてれば『集中しなさい』 危険なふざけ合いをしてれば『やめなさい』 という具合に、不適切な行動に対して注意や指導を受ける。 普通の感覚をもった教員であれば、このような注意や指導を1日に何十回とするだろう。 ただし注意や指導が、その行動を正すことに終始してしまって、もっと大事なことがおろそかになっている場面を多く目にする

          返事がないことを見逃す教員は要らない

          競う相手を理解していない教員は要らない

          AIの発達により、人間の仕事がAIに奪われる未来が、より現実的なものとなった昨今、 ChatGPTをはじめとする生成AIの飛躍的な進化から一瞬たりとも目が離せないような状況が続いている。 そして、ありとあらゆる業種でしのぎを削り合うこの資本主義社会において、教育もその例外ではない。 公教育は国営であるがゆえに常に守られてきたが、それでも教員には競合が存在する。 少し前までそれは学習塾やインターナショナルスクールであった。 そして最近では、フリースクールやオルタナティブ

          競う相手を理解していない教員は要らない

          『人間関係』を教えない教員は要らない

          学校では子ども同士の人間関係によるトラブルが起きる。 罵られた、からかわれたなどの小さなトラブルから、最終的に不登校や転校する事態にまで発展するような大きなトラブルまで大小は様々であるが、基本的に人間関係がトラブルの主たる原因であることについては同じである。 しかし、人間関係がトラブルの原因であるにもかかわらず、教員たちは『人間関係とはなにか』については教えない。 教えられないという方が正確だろうか。 しかし、人間関係についてこそ教えるべきだろう。 なぜなら、人間関係が

          『人間関係』を教えない教員は要らない

          九九を記憶させる教員は要らない

          日本の学習指導要領では小学校2年生の算数で、かけ算を習うことになっている。 『1桁の整数×1桁の整数』がその始まりであり、その81通りを全て暗記する『九九』なるものを活用してかけ算を身につけさせることが、日本の小学校では昔から定番であり、今も尚その指導法が受け継がれている。 しかし、かけ算を理解することと、九九を暗記することは意味が全く違う。 昔の教員がどうであったかは知らないが、今の教員はこの違いがわかっておらず、『かけ算を理解すること=九九を全て暗記すること』になってし

          過度なスキンシップを放置する教員は要らない

          子どもはスキンシップが多い。 友達同士で肩を組んで歩いたり、 手を繋いで歩いたり。 後ろから抱きついたり、腕を組んだり。 一つのイスに2人で座って同じ本を読んだり。 このようなことは小学校であれば日常的な光景であろう。 中には、ふざけて叩き合ったり、蹴りあったり、床に寝転がって取っ組みあったりしながら、キャッキャしている子どももいる。 そして、このような過度なスキンシップが日常化している子どもが、学級内でトラブルを起こしていることが多い。 これには理由がある。 そ

          過度なスキンシップを放置する教員は要らない