『人間関係』を教えない教員は要らない

学校では子ども同士の人間関係によるトラブルが起きる。

罵られた、からかわれたなどの小さなトラブルから、最終的に不登校や転校する事態にまで発展するような大きなトラブルまで大小は様々であるが、基本的に人間関係がトラブルの主たる原因であることについては同じである。

しかし、人間関係がトラブルの原因であるにもかかわらず、教員たちは『人間関係とはなにか』については教えない。
教えられないという方が正確だろうか。
しかし、人間関係についてこそ教えるべきだろう。

なぜなら、人間関係が何かわからなければ、なぜトラブルの原因になるのかもわからないし、何が良い人間関係であり、どうしたら良い人間関係が構築できるのかという思考にすら至らない。

だから、ほとんどの子どもは自らの力でトラブルを未然に防ぐことができない。
おそらく、大人の中にもそれらが分からない者が多くいるはずだ。

そして、子どもたち同士の人間関係のトラブルはいじめへと発展してしまうのだ。

では人間関係とはなにか。

自分と相手がただそこ存在していたとしても、そこには大した関係は生まれない。

なぜなら、人間関係は自分が相手に何かをしたり、他人から何かをされた時に初めて生じるものだからだ。

あいさつをしたり、されたり
話しかけたり、話しかけられたり
触れたり、触れられたり
笑いかけたり、笑いかけられたり
怒ったり、怒られたり
嫌いになったり、嫌われたり

そういうことの積み重ねが人間関係である。

では、良い人間関係とは何か?
言い換えれば、友達とか仲間といった関係だ。

『する•される』ことが人間関係なのだから、
その良し悪しを決めるのは、する•される側の感情だ。
『する』も『される』も、主体の感情によってその意味が変化するからだ。

する、したい、してあげたい、してやりたい、してみたい、しなくちゃ、しない、したくない、してやらない

される、されたい、して欲しい、してもらいたい、されたくない

だから、自分の『する•される』に対する感情が、相手とフィットする割合が多い人間関係が『良い人間関係』である。

それらがフィットせずに、ギャップが生まれると
そこに疑問が生まれるのだ。
「なぜしてくれない?」
「してあげたいのに、なぜ受け入れない?」
「仲良くしたいのに、なぜ仲良くしてくれない?」

この疑問こそが人間関係のトラブルの根幹である。

だから、子どもたちにはトラブルを避けるために、自分の感情を認知し、相手の感情を知ること、確認すること、推しはかることの大切さを教えなければならないのだ。

自分の感情は「して欲しい」ばかりじゃないか?
しかし、「しなくちゃ」ばかりも辛くなってしまう。
「してあげたい」相手の感情は「して欲しい」なのか?

子どもに「友達でしょ!?」「仲間でしょ!?」などと言っても意味はないのだ。
それが何かがわからないのだから。

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