言い換える教員は要らない

教員には年に3回(二期制の学校は2回)通知表の所見欄なるものに、子どもの学校での様子や評価を文章にして載せるという仕事がある。
最近では、教員の働き方改革のために、所見欄の字数を減らしたり、個人面談を兼ねて所見欄の記入を省く学期を設けたりすることもある。

実は保護者は所見欄などほとんど興味がないという現実はさておき、
子どもたちのことを保護者に伝える数少ない機会の内の一つだ。

所見には、基本的には子どものポジティブな情報を中心に書くことが通例である。

「〜ができるようになりました」
「〜する力が高まりました」
というような感じである。

しかし、その子の課題となる部分などのネガティブな内容について書く際は、伝わり方に誤解があったり、保護者が不快感を感じたりしないように、表現に注意しながら書く。

思い浮かべるだけでポジティブな姿が湯水のように湧いてきて、スラスラと書ける子どももいるが、ポジティブな姿が全く思い浮かばず、何を書けば良いか悩んでしまう子もいる。

そんな時、教員らが開発したのが『言い換え』である。

ネガティブな姿をポジティブな言葉に言い換えて所見に書くのだ。

教員らは、このようなくだらない言葉遊びが好きだ。
上手い言い換えが見つかった時にたくさんドーパミンが出てしまうのだろう。

しかし、この言い換えをし過ぎた結果、教員自身が子どものネガティヴな姿をポジティブに受け止めてしまうようになってしまったのだ。

言葉だけを言い換えてたつもりが、捉え方まで変わってしまったのである。

うるさいことと活気があることは違う
臆病なことと慎重なことは違う
お調子者とムードメーカーは違う
飽きっぽいことと好奇心が旺盛なことは違う
怒りっぽい性格と情熱的な性格は違う
影響を受けやすいことと感受性が豊かなことは違う
おせっかいと思いやりがあることは違う
打たれ弱いことと物事を真摯に受け止めることは違う
内気と謙虚は違う
協調性がないことと主体性があることは違う
空気が読めないことと独自の視点を有することは違う

これは教員らが今までに使ってきた言い換えの内の氷山の一角だが、
「捉え方は間違ってません」と、胸を張って言えるだろうか?

これを見て、「いやいや、一緒でしょ?」という者は非常に危険である。

なぜなら、これらの違いが分からないということは、子どもたちの課題に気付けないということだからだ。
その子の課題に気付けない教員が、どうしてその子を良い方向へ導けるというのか。

『言い変え』だけなら良いかもしれないが、『捉え方変え』にならないように注意していただきたい。

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