「心がどこにあるのか」を考えない教員は要らない
教育にとって人の心とはとても重要である。
教員と子どもの関係、子ども同士の関係においても重要であるし、子どもの心を育てるという意味でも重要だ。
学習の中でも「人物の心情を考える」場面はたくさんある。
では、人間の心は体のどこにあるのだろうか?
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは
「心は心臓にある」と言った。
そして、ヒポクラテスは
「心は脳にある」と言った。
確かに感情の変化によって心拍が変化することから、心が心臓にあると考えられてもおかしくはない。
しかし、17世紀に解剖学者によって神経が脳に繋がっていることが明らかにされ、現代においては一般的に心は脳にあると考えられている。
つまり、心を育てることは脳を育てるということである。
そして、学習によって知識を増やし、技能を身につけ、思考力を高め、表現力を豊かにすることも脳を育てることだ。
つまり、同じ脳に対してのアプローチなのだから、心を育てることと学習が無関係なはずがないということだ。
ではどのように関係しているのか、私の考えを述べる。
私の中では脳の心に関係する部分と、学習に関係する部分は階層が違うようなイメージである。
心の階層は上にあり、それを支えるようにその下に学習の階層がある。
そして、さらにこの二つの階層を支えるのが本能の階層だ。
心を育てるには、それを支える下の二層が健全でなければならないと考える。
本能の階層が健全というのは、
朝がきて外が明るくなったら目が覚めて、
お腹が空いたら食べ物を求め、
夜になって外が暗くなったら眠くなって寝る。
という状態だ。
学習する部分が健全な状態は言うまでもない。
自分が生活する上で必要な知識や技能を身につけ、興味関心のあることを探究するという活動が充実しているというだ。
この二層が健全であることが、心を育てることのスタートラインなのだが、それが分かってない者は、子どもの心がなぜ育たないのか、なぜ心が病んでしまうのか、と悩み行き詰まる。
学習が充実しない場合も、まずは本能の階層が健全であるかを確認すべきなのだ。
もちろん、ここで言う学習が充実していないというのはテストで100点をとれないということではない。
学習に前向きになれないとか、集中できないとかいう状態のことだ。
心を育てたいのであれば、それを支える二つの階層の状態を確認していなければ、どんな話を聞かせても、どんなに他の気持ちを考えさせても、あまり効果はないだろう。