現代詩文庫 22
鈴木志郎康 詩集 (1969) 思潮社
久しぶりにぶっ飛んでいる詩集を今回の「コーヒーと本」コーナーで紹介します。
それは、鈴木志郎康(すずきしろうやす)さんの詩集。
記事を書きながらネット上のニュースも確認していたら、ちょうど鈴木志郎康さんの名前がタイトルの記事が。今月の8日にお亡くなりになられたことを知りました。
このネット記事の写真ではやわらかそうなおじいちゃんですが、この方の詩集は、もう一度繰り返しますがぶっ飛んでいます。
「ぶっ飛んでいる」ぐらいの語彙力しかないぼくです。彼の言葉をどれだけ理解できたのか、できていないのかわかりません。
でも今現在読み進めている思潮社の現代詩文庫の中で、今のところ一番挑戦的であり尖っています。
この詩集を読んだあとはプアプア(度々詩に出てくる登場物)に頭の一部が支配されてしまうぐらい強烈な詩集です。
そしてここまで「男根」という言葉が出てくる詩集は後にも先にもないのではないでしょうか。
途中で読むのを止めたくなる気持ちがなかったと言えば嘘になるぐらい、読むことにある程度の忍耐力が求められる詩集でもあります。
彼自身の言葉を借りるならば「猥雑な思念」を言葉にせずにはいられなかったということになります。そしてその言葉は他者が紙面上で述べることはまずなかろうものが多く含まれています。だからこそ、彼の両親はこの詩集が出版されることに反対していました。
世間体を考えればご両親の言葉は当然だとも思えます。それぐらいの内容の詩集です。でも彼は世間体を気にする以上に、それが自分の役目であるかのように猥雑な思念を言葉にしました。
興味深いのは、そんな前衛的な詩集とは対極にあるようなNHKに彼は勤めていた(16年勤務して後に退職)ことです。しかしながら、彼の詩論・自伝を読んでみれば、彼は実はものすごく誠実でものすごく臆病なぼくらと同じ人間ということがわかります。
あるときはサラリーマンをしながら、詩を書くことでバランスを取っていたのでしょう。彼の言葉を借りれば、詩を書くことで従属からの脱出を試みていた。
それではそんな鈴木志郎康さんの詩集から気になった箇所をまとめてみます。太字になっている箇所は個人的に特に気になった言葉です。「コーヒー」という単語が出てくる箇所も太字になっています。
決着(一部抜粋)
法外に無茶に興奮している処女プアプア(一部抜粋)
番外私小説的プキアプキア家庭的大惨事(一部抜粋)
白色の巨大紙(一部抜粋)
詩論・自伝
浴室にて、鰐が(一部抜粋)
作品論・詩人論
鈴木志郎康と「それから」の代助 飯島耕一(一部抜粋)
のてのてに絡まれて十三年 木葉井悦子(一部抜粋)
と、こんな感じで個人的に気になった箇所だけをピックアップしてきました。これだけ読むと何がぶっ飛んでいるのかわからないと思います。
この詩集を読んだ人にしかわからないものが確かに存在しています。
なんとなく詩によってはバロウズのカットアップっぽいところがあって(でも寸断されてぶったぎられている訳ではなくて、首の皮一枚でつながっている感じがある)、それもすごく新鮮でした。
今現在の「前衛」の言葉による表現活動がどのようなものになっているのかは知りませんが、1960年代にこのような言葉による詩集が出されていたことに驚きです。この詩集のインパクトを超えるものが現在に置いてどれほどあるんだろう。
そして改めて、こんな詩集を出版していた思潮社。すごいです。このような詩集を評価するって勇気のいることだと思う。
ぜひ興味本位で良いのでこの詩集、読んでみてください。そうしないと、ぶっ飛んだ感を共有できないのです。
<今日の誕生日> 9月24日 Peter Salisbury (1971 - )この日生まれたイギリス出身のドラマー。The Verveのメンバー。