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私と過敏性腸症候群


私は物心ついた時からお腹の調子がいつも不安定な人生を歩んでおりますゆえ、これまで自身の身体に対してとても丁寧に向き合ってまいりました。


過敏性腸症候群、SIBO、リーキーガット、などと、そのあたりなら何にでも当てはまります。
特に食事などは実際のところ症状に直結する問題ですのでそれはそれは、さまざまな思案と実践、錯誤がありました。(幼少期からアトピーの症状もありましたゆえ食事は特に。しかし今では全く気にするところはありませんので、こちらはこちらでいずれ書いても良いかと思っておりますが、需要の多寡はどれほどのものでしょうや)
また、外出する前などは特に慎重に慎重を重ねて様子を伺って準備を進めて行かなければなりません。ましてや遠出をするなら言うまでもありません。(私にとっての遠出は片道30分程度からスタートします)当然外出先ではどこにトイレが存在しているのかの把握は欠かせませんが、そのようなことはもはや0.2秒の領域展開ですゆえ、すみやかに、無意識レベルで発動可能です。

食事など少しでも体質に合わなければ、お腹が痛くなったり、下痢をしたりですが整腸剤などで整ったことなどは一度たりともありません。
つまるところ自ら本質的な原因はどこにあるのかの追求をコツコツと積み重ねる他ありません。
しかし体質というものは残酷ですので、どれだけ徹底してもどうにもならないことはあるのでしょう、そこまで辿り着ければ受け入れ体制も整ってきていますゆえ、共存の道を進むしかありません。


とはいえ、小麦は最大の敵であったのは間違いありません。
これを封じ殲滅作戦を決行したことで、戦況は一気にこちらに傾いたと言っても言い過ぎではありません。
しかしこちらも大きな犠牲を払ったことは言うまでもありません。
なにせこの世の美味しいものは全て小麦を原料としているというではありませんか!!
それがなんであるかなど語る必要もないでしょう。
主食だけではありません。
今となっては許容範囲を把握できておりますゆえ、少量程度は気にしませんが、殲滅作戦決行時はこれまでの食生活における小麦製品の戦略的侵略範囲がこれほどとは思いもしませんでした。
大国の諜報部員さながらに何処にでも潜伏しているのですから。
お腹だけではなく、体の倦怠感、肌の症状、そして何より精神的な側面においても大きな影響があったことを知ることになりました。
日常的な摂取を控えるだけでも人によっては心身両面において変化を感じることでしょう。


そのほか、
昨今は猫も杓子も発酵食品などと、触れ回っておりますが私の場合発酵食品をはじめとした所謂、腸活などはむしろ逆効果になります、腹痛はもちろん、お腹の中にはガスが溜まり困ったものです。何が自分に合っているかはやはり自分の身体と向き合いながら見極めるしかありません。


また、一見なんの問題も無さそうな野菜なども注意が必要です。
食物繊維をたくさん摂ろうと躍起になっておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、私には全く合いません。
上記発酵食品と同様の結果が待ち受けております。
しかしこれも合う合わないがあるのは必定です。FODMAPといった糖質の問題もありますゆえ、正確な判断を求めれば困難を極めますが、なに、合わなければ摂取を控えるまでです。
但し本当にそれが原因になっているかの判断は丁寧に見極めなければいけません。ともすれば食べるものがなくなってしまいますので。
いやこれは笑い事ではありません。人間誰しも常軌を逸すると自分が何処に立っているのかすら把握できなくなるものです。


野菜は熱を加えない方が、栄養を壊さずに、無駄なく摂取できるなどといいますけれど、生で食べると私などはお腹が痛くなります。
そもそも人間には野菜の細胞壁を壊せる消化能力などありませんよ。(知らんけど)
だから熱を加えて栄養を摂取しやすい状態にしてやるんですよ。
どれだけ栄養満点でも吸収できなければ0ですよ。半分失われたとしても吸収できれば50ですよ。
ここのところを見落としてはいけません。


だいたい戦後までは生野菜なんてほとんど食べなかったくせに、サラダだの野菜ジュースだのと少し無謀な行いとは思いますよ。
私の亡くなった祖母など生野菜を食べているのを見たことがありません。
私が生を受ける前に両親が食べていたとしてもたったの一代では進化が追いつきません。
牛乳だって明治以降ですよ一般的には。
日本人で牛乳を消化吸収できるなんて奇跡に近い体質なんですよ。そうですよ、きっとそうですわ。(そうです、よ、って打ったつもりが、最後、わ、になってしまいましたけれどあえてそのままにしました。神様の思し召しかと思いましたので。)

玄米だってそうです。昔の人は玄米を食べていたなんて言いますけれど、玄米にしたって昔は器具や今のような機械仕掛けの作業などありませんゆえ、なんでも均一にはなりませんから、きっと分つきなんですよ。
玄米ばっかりなんて、おなかも疲れ果てますよ。
栄養がある食材だということと、それを消化吸収できる能力とは別の次元の話なんですから、栄養豊富な完全食が誕生したとしてもそれを吸収し、身体に栄養として行き渡らせることができなければガムを飲み込んだのと同じですよ。
翌日以降厠にて再会するだけですよ。



とはいえ消化吸収能力にも当然個人差がありますから、まぁこれは人間の細胞だけではなく、腸内細菌の能力も大きく関与する問題ですので、当然人によっては何を食べてもへっちゃらな選ばれし民もいるでしょうし、
ヤギさん🐐や🐎🐄🐏🐘🦒🦌🦙さん、
などの草食動物(腸内細菌、共生生物)に言わせればセルロースからアミノ酸(腸内細菌からすると宿主が必要としている栄養)を生成することができるのですから、人間の物差しでいうところの、なんの栄養も無い草を食べていれば、立派な筋骨隆々の美しい体が出来上がるのですよ。
したがって本質的には何を食べるかと言うことは問題ではなくて、食べたものから必要な栄養を生成し肉体に合成することができさえすれば何でも良いってことです。


人間だってこの先何万年もかけて草食動物になることだって可能なんですよきっと、私が尊敬してやまないゴリラ🦍さんだって、食性は基本植物性ですから、人間だってその気になれば可能でしょうし、そのためには草から栄養を生み出してくれる腸内細菌がいれば良いってだけなんです。
だけどそのためには何世代もの時間と、遺伝情報と適者生存を越えて、ようやくその性質を獲得できるんだろうってことで、人間はあれもこれも食えるように進化してきたってことです。

コアラなんて毒入りの葉を食べるんですから、食べる以外は解毒のために寝ることを義務付けられた悲しい運命なんですから。
二日酔いの日に丸一日潰れるあれですよ、言ってみれば毎日があんな日々ですよ。
いくら生存において競合相手がいないからといって毒に手を出した、始祖のコアラの勇気には脱帽するしかありませんよ。
消化吸収一つとっても、人間の身体機能なんてサポートみたいなものですよ。
ネジの一つ、共生ですよ、小宇宙なんですよ、コズミックネクストってことです。フラクタル。
脳だってこちらでコントロールしているなんて思っていたらコントロールされてるなんてこともあるんですよ、まぁ相互関係ですよね。
これは地球に隕石が衝突して恐竜がニワトリになるずっと前から決まっているのです。
何が言いたいかっていうと、つまり決まっているのです。
それはT-REXの話でしょ?って確かにそうです。私はトリケラトプス派です。(今でもサイ🦏が一番好きなのですから。)(ダチョウは現役の恐竜ですよね?きっとそうですよ。)

知識に騙されているんですよ、結局は取ってつけただけのハリボテのコピペなんです。
自分じゃないんです。エビデンスなんて教科書的なお勉強ですよ。
正しくデータが取れていないなんて言うわけじゃありません、自分に当てはまらなきゃそれまでってだけなのです。
そしてそんなcaseは当たり前、例外じゃない、むしろ当てはまる方が例外。
本当に追求して極めていけばみんな例外だし、もちろんそれを並べれば何かが浮かんでくるんだろうけど、それをすくい取って個人に還元しようとすると上手くはいかないんだよ。
みんなちがって、みんないいってこと。
同じ人間の、同じ身体状態のまま100年データ取ったとしたって、あくまで一つのcaseなんだし、ましてや諸行は無常なんですから。



私たちは戦闘民族サイヤ人じゃないのですよ。
20代と、60代では同じ人間でも体はずいぶん変化しますし、子供の頃はダメでも大人になれば良くなることもあれば当然逆も然りです。
細胞の新陳代謝は思春期が終わればあとは低下の一途で、つまりはゆるやかな衰退、老化現象、それを追い越せば癌ですよ、細胞が追いついてないんですよもう、追いつく必要はないんですよ。
それは花が萎れて枯れてゆくのと同じで役目を終えて次の段階へと移行しているのですよ、年中咲いていれば桜にカメラを向ける人なんてほとんどいませんよ。


不都合を感じるなら、そして、それに対応したいのなら、この身体が終わるまで結局は今に対応してやる他ないのですから、とはいえ神様からの決まり事ですゆえ抗えませんよ。
これまでの経験もこの先への対策も、気休めのプラセボなのです。
現代人は上澄みをすくうのが上手くなったってだけで本質にはサヨナラしちゃったてことです。
まぁ、なにも問題がなければ知る必要すらないのでしょうけれど、木は花が散ることなんてなんとも思ってないってことですよ、どうせまた来年も咲くのですから。
去年の花弁と今年の花弁の違いなんてないのですよ。
もちろん来年も。
だけれど私たちは花弁一枚の存在なわけですから、木からすれば気にも留めないその僅かな違いを認識しているんです。(大きな時間の中では木もまた花弁同様の存在ですけれど、私たちは花弁に投影した方が共感しやすいですよね。)
どれも立派な輪廻転生ですよね、時間なんて相対的な概念なんだから、宇宙の一生も微生物の一生もコップの中の水泡ですよ。


もう、話が逸れ過ぎて自分でも帰って来れませんよ、だれか誘導してくれる人がいるならって、そんな幸せなことはありませんよね。
これまで、随分と試行錯誤に実戦の繰り返しで今はそれほどストレスにはならない程度で過ごせていますけれども、私がどれだけ工夫してもやはり根本的な立て付けはなかなか改善できないってことです。
まぁ、このあたりは真理序説の続きにでも書ければ良いかなと思いますが、それはまたいずれ。
うまく付き合えれば上出来くらいが折り合い所ですね。

要は、もう今日は疲れたからやめよってこと。でもこんなこと話せばいくら書いたって終わりなんてありませんよ。聖書もびっくりのボリュームになりますよ。もうnoteじゃありませんよBookですよ。だからnoteとして認めてあげられるくらいで収めておこうかなと思っているんです。
これより先はもう意味なんて解釈なんて必要としませんよ、それこそ有料noteで一生話していたいくらいですから、本当にバカに付き合ってくれる人だけですよ。
とにかくみなさん最後まで読んでいただいてありがとうございます。


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