反転した世界観💫🌳💫さて、どうなるか〜!?
反転したらどうなるか!?
コメ欄で質問頂いたので考察してみたい。
反転、反転というけれど
何を反転させるのか?
空間、時間、言語、、、
空間はミクロとマクロの反転。
意識と無意識。
死と生は分離しているのでなく
持続している。
全ての認識を反転させるということ。
3次元的物質認識を4次元的精神認識に変えるということ。
反転してない今の世界はこんな感じ🌍
一人一人が頭の中に描いている地球、現実を言葉、横に流れる時間が同じ地球にいるという共有認識を作っている。
この共有認識を作っているところは精神の世界、持続、4次元空間になるのだか、その事を人類は認識できず大地の中に沈み込んでしまっている・・・
前回復習
では、
THE 反転!
沈み込んでしまっている4次元空間認識を顕在化させると反環の外側にさらに円が出来る。これが4次元空間の顕在化だ。
生は死と持続し霊となる。
時間、過去は持続となり全ては記憶になる。
思考や認識を無理に反転させる事より
本来の自己の位置を見出すこと。
その位置に慣れてくれば
自然と思考や認識は反転すると思う。
🌟4次元感覚🌟
言葉で表すとややこしくなるのだが、
たとえば・・・
空間内にわたしがいるのではなくて
空間がわたししている
という感覚になってくる。
感覚がわたしをわたしたらしめている。
🤔わかりにくいので他の表現を使ってみると・・・
「花が存在している」が3次元的表現だが反転すると
「存在」が「花」する、
となる。
つまりはぼくら人間も
存在が人間してる
と、なる😆💫
「4次元の主体」や「3次元の存在者達」をあらしめてるものならしめてるもの意識させているものが「存在」する(そこが5次元だと思っていいだろう。ハイデガーだと「ある、存在者」3次元、「いる、現存在」4次元、「なる、存在」5次元となる。(東洋哲学だとブラフマン、アートマン、人間に対応すると思う。東洋哲学の「ただ在る」はハイデガーの「いる」もしくは「なる」に対応していると思う。ややこしやー🤯💦)。
「存在」において自己と他者の魂が交わる。
おそらくは「存在」は表裏一体、自己側の「存在」があれば他者側の「存在」があるはずだ。
世界は決して「無」ではない。
世界が「無」というならばもはや自分たちも存在しえない。「無」というものは決して認識しえない。何かがあるから「生成」がある。
そしてその何かは「もう一つの何か」から認識されないと存在してないのだ。何かがなければ自分達も存在してないのだ。
表現的に「無」と表現するとしても「無」は2つある。0は0だけでは存在しえない。
0と0、つまり∞メビウスの輪となってぼくらの宇宙は存在するのだ。
空間認識も時間認識も言語が作っているので
主語述語を入れ替えてみると面白い事がわかる。
(「存在が花してる」はwayさんの記事より。
井筒俊彦氏の言葉との事です。とても美しい響きにビビッときました!)
もう少しわかりやすくすると・・・
(こちらはヌーソロジー提唱者半田氏のXポストより。悲しみがわたししてる!これまたいいですなあ🍂)
反転した世界では空間自体がわたしそのもの、行為自体がわたしそのもの、さらには時間も持続としてわたしになるのだ。
と、するとこの前までわかりにくいと思っていたハイデガーのあの言葉
世界が世界する
も少し言葉を入れ替える事でもう少し分かりやすくなる。世界と存在を入れ替えてみよう。
世界が存在する。
存在が世界する。
存在=世界だとすると、
世界が世界する。
となる🌐
では、さらに具体例を♪
久々にぼくの3次元的空間画像を・・・😆
グルテンフリーランチプレートを
わたしが食べている(3次元)
⇔
グルテンフリーランチプレートを食べてることが
わたししてる(4次元)
こちら白米と黒米のお米パン🍞
わたしは幾つ買おうか考えている(3次元)
⇔
幾つ買おうか考えている事がわたししている(4次元)
🍞🍞🍞🍞🍞
少しは伝わっただろうか。
反転するということは
言語優先の世界から感性優先の世界へ。
言葉を言霊に。
客観から主観の世界へ。
低次の自我を高次の自我に。
横幅の時間から円環する持続へ。
物質優位の世界から精神優位の世界へ。
生は肉体の終わりで死を迎えるのでなく
生と死は持続している。
そして素粒子はミクロ、最小物質単位とされているけどマクロへと反転する。
流れで「存在」まで書いてしまったけど、目下のところ三次元から四次元空間へ行きましょう〜!!
大切なのは
全てはわたしとか
自分に思い込ませることではなく
ほんとに無意識の世界を顕在化させる事也🌟
ご一読ありがとうございました🌟
以上です!
ナマステ🐉✨✨🐉🐉