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俵万智著『かすみ草のおねえさん』を読んで ~その3(2004年6月22日著)~

俵万智著『かすみ草のおねえさん』を20年以上前に読み、その時書いた読書感想文を投稿してきた。今回は3回目となる。


俵万智著『かすみ草のおねえさん』(文藝春秋、1994)の読書感想文/2004年6月22日

 俵万智さんのエッセイ集『かすみ草のおねえさん』のなかで、パソコン通信の話が出てくる。そこで「リアルタイム会議」というのが取り上げられているのだが、それがいわゆる「チャット」と呼ばれているもののようだ。そして、エッセイの中で「それが楽しみの一つだ」と言っている。ここはかなり私と感覚が異なるところだと思ったが、俵さんはチャットのマイナス面もあげた上で、

パソコン通信でのコミュニケーションというのは、案外その人の本質をストレートに伝えるかもしれない。

俵万智著『かすみ草のおねえさん』

どんな顔をしているとか、どれくらい背が高いとか、太っているとか痩せているとか、どんな大学を出て、どんな会社に勤めているとか、そういうこと一切なしで、まず言葉だけを通して出会う二人。そこでしっかり結ばれたなら、実際に会って失望することはないというのだ――なんて素敵なことだろう。

俵万智著『かすみ草のおねえさん』

という具合に結ばれている。

 そのエッセイの冒頭には

画面に映し出された言葉だけが、相手を知るてがかりであり、自分を伝える手段である。お互いに何の先入観もなく、人と出会える場なんて、今どき他にないのではないだろうか

俵万智著『かすみ草のおねえさん』

とあった。約10年前に、こんな風に「チャット」はとらえられていたのか~、となんだかはるか昔を回想するような感じでいた。そして、「いまどき他にないのではないだろうか」と述べた10年後には、いまどき他にないどころか小学生までに普及したいまどきの出会いの場になろうとは想像できなかったのではないかと思った。

 私は、完全にこのネット上の出会いを否定することはできないが、やはり「パソコン通信でのコミュニケーションというのは、案外その人の本質をストレートに伝えるかもしれない」という点がかえって危険をはらんでいるのではないかと考える。

 S市の小学生の事件でインターネットでのやり取りがどのようなものであったか分からないが、その人の本質というか、本音がストレートに伝わった故に感情を駆り立てられてしまった部分もあるように思われる。

 ふと言葉ノート(心に響いた言葉を書き留めているノート)にある

人は話す前は自分の言葉の主人公だが、口から出してしまった言葉の奴隷でしかない

という言葉がぐさりと胸に刺さった。

 平気で人を傷つけてしまう言葉を簡単に口にしてしまう子どもたちもいる。そして大人の私でさえ、妹に注意をされてしまうような言い方をすることが少なくない。こちらはそんなつもりがなくても相手にとっては重くのしかかるものだったりする。そう考えていくと、ちょっと怖いな、と思う。

 しかし、こういったことを大人は子どもに教えていかなければならないのだろう。きっと実生活の中で。きちんとした言葉遣い、魂の入った言葉を大人たちが日常生活の中で豊かに使っていくことがなによりもの解決につながっていくのかもしれない。あまり気にし過ぎる必要はないと思うが、厳選しながら言葉を使っていきたいと思った。

 こう考えると、日本文学の「短歌」や「俳句」というのは言葉のエッセンスというか厳選方法を体得する上で素敵な文化なのかもしれない。ネットを教育的視点から考えていく中で、言葉の教育についての感想にもなってしまった。


パソコン通信とインターネット


 パソコン通信とは、インターネットが急激に普及する以前(1980年代後半~1990年代中頃)に行われていた会員制の電子メールや電子掲示板などのサービス形態。そもそもパソコン通信とインターネットは違う。接続できる相手、接続の自由度、サービスの提供の点で異なる。アナログな私は、まず、その違いが分かっていなかったため、インターネット上でのやり取りの視点から感想文を書いていたので、俵さんの言いたかったことをきちんと理解できていなかったのではないかと思う。

 現在ネット上でnoteも含め、何かを発信するということは責任も伴うし、リスクもあり、利用する側のITリテラシーが問われる。しっかりと意識して高めていく必要がある。SNS上の事件も絶えない時代の中、言葉を発することについて当時の洞察は今にも通じる。

noteを始めて

 さて、noteをはじめて2週間以上が経つが、noteに投稿している人の文章を読むといろいろな気づきや出会いがある。例えば、私と同じように膠原病のSLEの方とか、教員経験者である方とか、旅行好き、読書好きの方であるとか、同じように文章を書く仕事をしている方とか…。「スキ」を押してくださる方の投稿を読むと、「あ~、なんだか分かる気がする」といった共感も多い。noteの中で、書き手の本質を表していることも多いのかもしれない、とも感じる。プロフィールでその人の背景はなんとなく分かる。しかし、それだけでは、やはり伝わらないものが、投稿した文章の中にある。

 noteを通して、言葉を発信することの意味を改めて自分に問いていきたいし、「短歌」や「俳句」といった日本が誇れる表現を使う楽しさも味わっていきたいと思う。

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