合成着色料はうまい。
最高気温が40度に迫ることも多かった今年の夏。わたしは夏バテ…なんて影もなく、暴飲暴食を繰り返す日々を送っていた。お祭りに行ったって、フルーツ(チョコバナナ)や氷(かき氷)しか食べないという健康志向な人間であるのに、なぜか体重計の数字は天井知らず。今思えば、タ二タが写す非常に正確な数字をみては悲鳴をあげる毎日だった。もちろんその所以に心当たりなどない。「世の中にはまだまだ理解し得ないことが沢山ある」と深く首を傾げた2024・summer。
わたしが理解できないことといえば、「日本はアメリカよりも着色料の認可がゆるい」ということ。世界では言わずとしれている健康食品(?)の抹茶や、あの一汁三菜という素晴らしい食事システムを誇る日本が、マクドナ⚪︎ドやHARIB⚪︎なんてものばかり有する米国よりも不健康ってことなのか?(やめとけ) そんなことあり得ない!と一瞬思ったものの、頭に浮かんだのは人気観光地原宿で売られていたカラフルで驚異的に大きい綿菓子。あれ心当たりしかないなと先ほど口にした暴言をすぐさま撤回した気持ちになったがもう1つだけ「食べ物を美味しそうに見せるために合成着色料が使われるはずなのに、なぜ食欲減退色の青の着色料が存在するのか」という疑問が頭をよぎった。チョコバナナを買うときは決まって青を選ぶ私だが、もちろん美味しそうだからという理由で選んだことはない。どうして青は使われ、食されるのか。この問いの答えはこの後に続く私のnote記事では絶対に解明されない。それだけ先に伝えておくとする。
皆さんもご存知の通り、そもそも生まれながらにして青い色をした食べ物は極めて少ない。思い浮かぶのは、甘エビの卵くらいだろう(気になった人はぜひググって欲しい)。あまりに青い食材が手に入らないもんだから、食卓彩りを加えたいときにシェフはあえて青い皿を使ったりするらしい。ただ、青いバナナチョコやHARIB⚪︎みたいに、食べ物そのものに青を使う行為はきっとシェフにとってもマイノリティ。要するに、食のプロからしても青の合成着色料はあくまでもエンターテイメントの域は出ない。目で楽しむための青でしかないのだ。そんなふうに「食欲を減退させるが、エンターテイメントは感じられる」という青の合成着色料。一進一退なこの戦いに終止符を打ち、ユーザーに「これは買おう」と思わせる決定打は一体なんなのだろうか。
小さいとき、ちょっと家柄のいい友だちが合成着色料の入った食べ物を親に禁止されているなんて場面を目にしたことがないだろうか。たしかに合成着色料は過度に口にすることはタブーとされている。もちろん私は今も昔も合成着色料を嬉々として摂取している家系の生まれであるが、それでも、コ⚪︎コーラを飲んだ時、青いチョコバナナを食べた時、31のポッ⚪︎ングシャワーを食べた時、心当たりのないしがらみから1歩抜けたほんの少しの自由を感じることがある。小さい頃はダメとされていた人なら尚のことだろう。今ではすっかり大人でなかなかの自由費を手にしたわたしは、自分の思うがままに大量の青を手に取り食べることができる。そうやって、他に変えようのない気持ちよさを私は合成着色料から得ていることに今気がつく。こんなふうに禁忌というものは人間の食欲に深く影響するのか。きっと合成着色料だけじゃない。酒や油も、正直、野菜そのままの美味しさに勝る旨みは全く持ち得ていない。だが、なぜか悪とされればされるほど欲してしまっているのも事実。コ⚪︎アシガレットやリラック⚪︎パイポがタバコに勝てない理由だって結局のところ『やってはいけないものへ溢れ出る興味』であると私は思っている。(もちろん成分的な云々もあるのだが)
「ダメと言われればやってみたくなる」人間の脳はNOを理解できないらしい。学術的なことは私にはよくわからないが、合成着色料は私たちが本能的に興味をそそられるような禁忌性を持ち合わせている。
合成着色料を禁止させられている友達が、ちょっと品がよく見えたあのころ、私も自ら合成着色料をやめてみたりしたが、またすぐにシ⚪︎キックスやハイチュ⚪︎に手を染めたことは言うまでもないだろう。合成着色料バンザイ。