テニス上達メモ480.「千と千尋の自己肯定」(連載その3)
▶「人を嫌う」のも自己肯定
テニスはミスするスポーツだから、自己肯定感を損ねるきらいがある。
だから逆手に取れば、自己肯定感を育むエッセンスが凝縮。
そして自己肯定感が高まると、ミスしても「ミスは罪でも自分は憎まず」でいられるし、「人目」を気にせずにもいられるから、テニスの上達に寄与します。
前回からの続きです。
「この人嫌い」と、口に出して言わないまでも、素直に思うのは差し当たっての自己肯定です。
「友だち100人」は苦しむのでした。
人と人の間(人間)には、「反り」「相性」があるからです。
たとえ自分は素のまま真っ直ぐ(素直)だとしても、相手が反っていればやっぱり合いません。
逆もまたしかり。
なのに平気な「フリ」して付き合い続けるのは、自分の気持ちを偽る自己否定です。
だからといって自己肯定感がまだ高くないと、「嫌われる勇気」の理論について頭では理解したとしても、やっぱり嫌われるのが「怖い」のです。
ですから、急がば回れ。
「嫌われる勇気」のその前に、「好かれる勇気」です。
▶合わない反りを合わせようとすると「壊れる」
とはいえ「差し当たって」と但し書きしました。
自己肯定感が高まると、めったに人を嫌いになりません。
私も今は、決して嫌っているわけではないけれど、関わらないようにしているのは一人。
それは両者にとって心身の健康を守るための対応です。
合わない刀の反りを鞘に合わせようとすると、どちらかが(あるいはどちらも)壊れてしまいます。
そこに何の利があるというのでしょう。
▶「千と千尋の自己肯定」
『前回のテニス上達メモ』では、自己肯定感が低めの人は「もらう」のが苦手と述べました。
「自分なんかに」という感じ方があるからだし、「もらってばかりだと悪い」「お返ししないとマズい」という感じ方が否定的なのでしたね。
一方、決して全員ではないけれど、なかにはこちらに取り入ろうとして「あげよう」とする相手がいます。
カオナシは「え、え……」と言いながら金を差し出そうとしたけれど、「欲しくない。いらない!」と断ったのが「千と千尋の自己肯定」。
「私忙しいので、失礼します!」と踵を返したのでした。
ですから嫌わないけど、関わらない。
それはアウトドアが好きな相手にインドアが好きな自分が一緒に行動するようなものです。
どちらが悪いというわけではなくて、「人それぞれ」ですから、一緒にいるのはストレス。
みんな別け隔てなく付き合おうとしていたかつて、周りが「敵だらけ」のように感じられました。
今思えば敵と思うのは、「ありのまま」でいられない、たとえば「断る」「もらう」のをためらったりする、すべての人が対象だったと顧みます。
▶相手から嫌われても、自分からは「好き」
関わらないからといって、嫌いなわけではありません。
「他者肯定感=自己肯定感」ですから、相手が自分を嫌ってきても、自分からは好きな相関です。
一般的には、自分を嫌ってくる相手は、自分からも嫌いそうなもの。
好きとはいかないまでも、否定はありません。
哲学者ヴォルテールが主張した(諸説あるそう)、こちらの話と同じです。
「私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」。
▶自己肯定感が「低い人」は「嫌われない」
自己肯定感が低いと、基本的に嫌われません。
人間関係もそつがない。
しかしそれは、自分の素直な気持ちを押し「殺す」自殺なのです。
嫌われないけど、人と親しくなる「つながり」は感じられません。
自分の気持ちを「偽る」からです。
嫌われないけど「基本的に」と但し書きした理由は、自己肯定感が本当に高い人は、取り入ろうとする相手の思惑を見抜くから。
そうすると、関わり、つながりは、なくなるのです。
長くなりますので、次回に続きます。
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(テニスゼロ)
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