テニス上達メモ061.あなたの「テニス自己肯定感」は?
▶「私にもできるかも!」という根拠なきポジティブ!
自己肯定感というのは、生まれたてがいちばん高くて、年齢を重ねるごとに低くなっていくのが一般的な傾向として知られています。
テニスも同じ。
テニスを始めたての初心者のころは、テニスに関する自己肯定感(ここでは「テニス自己肯定感」と呼ぶことにします)が高いのだけれど、キャリアを重ねるうちに、低くなりがちです。
それが証拠に、テニス初心者のころは、「私にもできるかも!」という根拠なきポジティブがあったでしょう。
初めから「私には無理だろうな」と思ってテニスを始める人は、いません(苦笑)。
だけどキャリアを重ねるうちに、「自分はこんなもんだ」などというネガティブモードに突入するのです。
▶自己肯定感と自信は違うから……
「いや、プロはキャリアを重ねながらテニス自己肯定感を高めてきたはずでは?」と思われるかもしれませんけれども、それは自己肯定感というよりも、テニスが上手くできるようになった「自信」です。
自己肯定感というのは説明したとおり、テニスができない初心者であっても「私にもできるかも!」という感じ方であるのに対し、自信というのは、できるようになったテニスの実力を根拠とするメンタルで、テニスが上手くできなくなると失うという違いがあります。
▶禁止令により育つ「偽りの自分」
自己肯定感の低下については、幼少期より浴びせられ続けてきた「禁止令」が関与しています。
「ワガママ言うな!」
「泣くな!」
「サボるな!」
「あんな友だちと遊ぶな!」
そういった禁止令を、雨あられのように浴びせられ続けてきた結果、私たちは大人になるにつれ、「ありのままの自分」では、いられなくなってゆきます。
「偽りの自分」を演じるようになる。
つまり、「自己肯定感」が損なわれます。
禁止令は何も「※※するな」といった否定形の表現ばかりではありません。
「我慢しろ!」の命令形は、「感情を表に出すな!」という否定形を言い換えたにすぎません。
「礼儀正しいね!」という評価は、「無礼にするな!」という否定形を言い換えたにすぎません。
ほかにも言葉だけではなく、表情の曇り具合や、ため息、舌打ちなども、禁止令としての効果は十分高いと言えます。
▶「テニス自己肯定感」をスポイルするフォーム指導
テニスのフォーム指導も、まったく同じです。
「手首を使うな!」
「ヘッドアップするな!」
「体を開くな!」
そういった禁止令を雨あられのようにテニス初心者が浴びせられ続けると、どうなるでしょうか?
たとえばサーブは、投球動作に似ているといわれます。
そして私たちは普通に、投球動作ができます。
だけど常識的なテニス指導によるフォーム矯正ではそこに、「体の開きをちょっと抑えて」とか「トスした左手をすぐに下ろすな」などの禁止令が発せられます。
「トロフィーポーズが上手にできているよ」という評価も、「ヒザを曲げてしっかりタメないとダメだよ」という禁止令の言い換えです。
するとどうなるかというと、普通にできていた投球動作さえ、できなくなる。
「体の開きをちょっと抑えて」
「トスした左手をすぐに下ろすな」
「トロフィーポーズが上手にできている」
禁止令を守ろうとするそのフォームは、おおよそ投球動作とはほど遠いギクシャクしたものになるのです。
普通にできていた、ありのままの自分らしい動き方が、できなくなるのです。
それは、「テニス自己肯定感」をスポイル(ダメに)してしまうことにほかりません。
▶錦織圭が発揮した「スルー力」
錦織圭はジュニア時代、コーチから「ピョンピョン飛び跳ねながら打つな!」との禁止令を受けました。
だけどまだ自己肯定感が高い子どもだったから、そのアドバイスをスルーできた。
これが「エアK」の起源であると、「テニス上達メモ051.テニスは『天然さん』だと上手くいく!」で紹介しているとおりです。
だけど大人になると、なかなかそうはいかないでしょう。
「体の開きをちょっと抑えて」と指導されても、本当は体を回して打ちたいから、コーチの見ている前でだけ体を開かない「フリ」をしたりする。
自分としても、「他人のアドバイスを聞き入れられるちゃんとした大人でありたい」という偽りの自分を演じたりもする。
「自分のやりたい!」を優先する自分軸を保てなくて、自分のやりたいようにやるのを「ワガママ」などと感じる「罪悪感」を覚えたりしている自分。
大人になるにつれ、私たちは自己肯定感を損なってしまいました。
本当はジュニア時代の錦織のように、「自分のやりたいようにやりたい」のでは?
それがありのままの自分を表現する「自己肯定」なのですから。
▶「一重まぶた」で、何が悪い!?
フォームなんて表面的に現れる「見た目」にすぎません。
「あの人はフォームがきれいだ」などという言い方がされますが、それって完全に「見た目問題」です。
裏を返せばフォーム(見た目)に関する指摘というのはまるで、「一重まぶたはダメだ」「鼻が低すぎる」などと、その人の主観や世間的な価値観で容姿を否定されているようなもの。
他人に指摘される「こんな自分じゃダメなんだ……」という受け止め方になり、ありのままの自分の見た目(フォーム)は封印され、自由闊達な振る舞い(プレー)ができなくなるのです。
完全な見た目問題。
その形(フォーム)はヘンだから、「そこを直せ!」と、常識的なテニス指導は畳みかける。
「そうすればもっと見た目がきれいになるぞ!」と。
冷静に顧みると、失礼極まりない言い分では、ないだろうか!?
▶「スルー力」は「集中力」
ジュニア時代の錦織が発揮したのが、「スルー力」です。
コーチに対して「自分は飛び跳ねながら打つんだ!」などと、口ごたえするでもなく、アドバイスを単に「スルー」。
そして「スルー力」がそのまま、「ありのままの自分」を認めることのできる自己肯定感を損なわない、もっと言えば取り戻す力になります。
自己肯定感が低いと、つい他人の言い分や都合を優先してしまいがちです。
「自分の言い分や都合を優先してもらうほどの価値が自分にはない」という感じ方になるからです。
つまり「私の思い」は封印し、コーチの言い分(アドバイス)を優先する「自己否定」に走るのです。
そこで、「スルー力」。
具体的にどうすればいいかというと、「スルー力」は、「集中力」によって高まります。
テニスでいえば望ましいのは、ボールに集中していた結果、コーチのアドバイスが耳に入ってこなかったかのような「無意識的スルー」。
どちらかというとワザと無視するというよりも、気づかずに「アドバイスが素通りした」といったニュアンスとして捉えるとよいでしょう。
ですから集中力を鍛えると、スルー力が自ずと強化されて、ひいては自己肯定感を高めるのです。
▶人を魅了する本当の「スルー」
わざとのシカトは、無視していることを相手に感じさせる「嫌味」な雰囲気が伝わります。
一方、集中力に由来するスルー力が高まった人を見て、「無視している」とは、相手に感じさせないものです。
いつも引き合いに出しているこの動画。
https://www.youtube.com/watch?v=njvK_EII2GI
錦織圭のショットがネットミスして、審判がゲーム終了を告げたにも関わらず「スルー」して、まだ試合を続行しようとするロジャー・フェデラー。
マッチポイントを迎えるそれまでのプレー中にも、カウントのことなど、一切気にしていなかったのでしょう。
審判のジャッジも、観客による声援も耳に届かなくなった、超越的な集中。
すでに試合が終わっていたことに気づいたときに、「ゾーン」から、日常の意識状態へと帰ってきました。
少し照れた様子で、両手を振り払う仕草がお茶目です(笑)。
「嫌味」どころか、心の底から楽しんでいる雰囲気が、観客を「魅了」すらするのです。
▶幸せに生き抜く力を育む「最高のしつけ」
「手首を使うな!」
「ヘッドアップするな!」
「体を開くな!」
ダメ出しばっかり……。
全部を聞き入れていると、テニス初心者が自己否定的になるのは当然でしょう。
何せ、立場的に教える側のコーチから発せられる指令ですからね。
親や教師から子どもへ命じられるのと同じ構造。
これが、禁止令の暴力的な側面です。
そこで「スルー力」。
「テニス上達メモ059.私、テニスが楽しくないかも」では、テレビゲームを楽しむ子どもには、「もうそろそろやめなさい」と注意する親の声が聞こえなくなるとご説明したのも、集中力の高まりに応じて発揮された「スルー力」なのでした。
そしてその指さばきは、「超高速」なのでしたね!
このように集中力が高まり、スルー力が発揮されると、パフォーマンスも上がります。
「しつけ」「指導」と称する「褒める」「叱る」評価は不要(※参考記事「テニス上達メモ460.今後、彼女たちはアイスクリームについて、どんなイメージを抱くだろう?」)
ありのままを受け入れる全肯定こそ、幸せに生き抜く力を育む「最高のしつけ」に違いありません。
そしてそれは、子どもや他人に対してのみならず、「自分にとって」も幸せに生き抜く力を育む「最高のしつけ」たり得るのです。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero