テニス上達メモ017.「ミスするかも」と思うとミスする
▶「不安な気持ち」がスイングの萎縮を招く
サーブを打つ前、リターンの構えに入ったとき、あるいはスマッシュを打つ直前に、「ミスするかもしれない」とよぎる不安はありませんか?
結構、あります。
ショットがまだ不安定なプレーヤーにとって、そう思うことは自然です。
しかし「ミスするかもしれない」と不安になる気持ちがスイングの萎縮を招き、プレーを消極的にさせて、現実のミスを生み出します。
「ミスするかもしれない」という思い(イメージ)が、皮肉にも実現してしまうのです。
▶その不安は「ダミー」かもしれない
「ミスするかもしれない」と不安になるのが自然なのだとしても、その不安はダミーかもしれません。
なぜなら「ミスするかもしれない」思いは、現実ではないからです。
現実として、たとえば線状降水帯があって道路が冠水するかもしれないのであれば、安全が確保されていないのですから不安になるのは備えるための「役立つ感情」ですが、「ミスするかもしれない」には、何の物的根拠もありません。
▶考えないようにしようとするから「考える」
なので「ミスするかもしれない」の不安はダミーの可能性が高いのです。
そこでたいてい、「ミスのことは考えないようにしよう!」と努めるかもしれません。
しかし考えれば考えるほど、ミスについての思い(イメージ)は強まる悪循環。
「青い象のことだけは考えないで!」といえば、どうしても考えてしまうのです。
▶「一時にひとつ」が原理原則
「ミスのことは考えないようにしよう」とするのではなく、注意を別の方へ向けると、上手くいきます。
テニスでは、「ボール」です。
人間は、「一時にひとつ」にしか注意を向けられませんから、別の対象(ボール)に集中すれば、ミスの心配について考えられなくなり、実際にミスも減らせる可能性が高まります。
これを読んでいる最中、鳴っていたかもしれないけれど空調の「音」は、聞こえなかったはずです。
そうして指摘されると聞こえ出すのですけれども、今度はその音をよく聞きながら、この文章を先ほどみたいにすらすら読めなくなるのは、「一時に一つ」が原理原則だからです。
ですから常識的なテニス指導が教えるような「フォーム」を意識すれば、ボールは何となくしか、「見えなくなる」のです。
▶ボーっと空を見上げる集中
集中するとは言い換えれば、「考えない」ということと≒です。
これは一般的な印象とは、「逆」かもしれません。
学生時代、何も考えずに「ボーっ」と空を見上げていたら、先生に「集中しろ!」と怒られた経験はないでしょうか?
いろいろ考えて頭を使うのが「集中」だと、勘違いしているのです。
生徒は、雲の流れや形の変化に「集中」していたのです。
そのせいで、先生の声が聞こえなくなっていたのです。
生徒が悪いのではありません。
先生の退屈な授業がツマラナイのです。
※「≒」であり「=」ではないのは、たとえば試験問題を解くときなどは一貫した思考に意識が「集中している」と言えるからです。
いずれにせよ、まとまりなく「いろいろ考える」雑念は、集中ではありません。
▶上手いプレーヤーほど「考えない」
ボールに集中すれば、ミスの心配について考えられなくなり、スイングも萎縮せず普段どおりのびのび振れるから、実際にミスも少なくなると先述しました。
とはいえ、集中力がまだ高まっていないうちは、考えごとのほうへ引きずられがちです。
そのせいで、ボールがよく見えなくなる。
ぼんやりとは見えていても、ボールの回転や毛羽が認識できるほどの鮮明な見え方にはなりません。
集中力が高いプレーヤーほど、ボールを鮮明に視認しています。
つまり集中力が高いプレーヤーほど「考えていない」のです。
▶プロは「グリップ名」すら知らない
「えっ!?」
「プロは、テイクバックについても、フォロースルーについても、スタンスについても、グリップについても、いろいろ熟知していて、それらをプレー中に意識して使いこなすから、テニスが上手いんじゃないの?」
それはまったく当たりません。
むしろ逆で、テニスを幼いころから感覚で身につけてきたから、プロには自分の握る「グリップ名」すら知らないプレーヤーのほうが多いくらいです。
「ラケット面に手のひらをあてがい、グリップのところまで下ろしてきて握手するように握るのがイースタングリップです」
テニススクールでは初日に習うような内容についてすら、プロは知らないのです。
▶錦織は「ジャックナイフ」の打ち方を知らない
機会かあったら、錦織圭に尋ねてみてください。
「バックハンドはどんなグリップで握っていますか?」と。
「右手はフォアイースタン、左手はセミウエスタン程度の厚さで……」などという論理的な答えは、絶対に出てきません。
「何となく」「適当」などの答えになるでしょう。
逆に言えばグリップなど意識させるから、常識的なテニス指導ではレッスン初日からつまずくのです。
あまつさえ彼が得意とするジャックナイフについて、「右足でジャンプしたら、左足を後ろへ蹴る反動を利用して腕を前へ振り出す」などと常識的なテニス指導が解説するコツなど、錦織自身は知る由もないのです。
そんな解説を聞いたら、「そんなふうに打っているんですか!?」と驚くのは当の本人です。
▶考えなければ「真実」だけが残る
私たちは24時間、四六時中、引っ切り無しに考え事をしています。
テニスに限った話ではありません。
「明日のプレゼンは上手くいくだろうか……」
「あいつは裏切るかもしれない!」
でもそれらは物的根拠もなく、想像でしかありません。
「今・ここ・この瞬間」の現実ではないはずです。
目の前にある現実の世界に目を向ければ、明日のプレゼンも、裏切るあいつも、どこにも見当たりません。
今、確かめてください。
いないでしょう?
だとすれば一切、ノープロブレムではないでしょうか。
あれこれ騒ぎ立てる思考こそ、私たちを苦悩させるストレスそのもの。
思考がなくなった「今・ここ・この瞬間」の世界には、頭の中の思考とは関係のない、大げさではなく目に見える、耳に聞こえる、鼻で匂う「真実」だけが展開しています。
▶追伸・テニスも食事もハッピーの手習い
私たちは食事をしているときも、ひっきりなしに思考をしています。
それをやめて、口の中の味や食感に、グググーッと集中。
すると「冷ややっこって、こんなにも甘かったんだ!」などと、いまだかつてない美味しさレベルを体感できるので、少ない量でも薄味でも満足感が増し、食べすぎを自然に防ぐこともできます。
むしろ「食べすぎてはいけない」などと食事中に「意識」すると、食べ物への執着が増してむさぼりたくなります。
換言すると考えている最中、私たちは「ほとんど味わえていない」。
考え事をしながら、次から次へと口の中へ放り込んでいるだけです。
300円のワインでも「100万円」と聞かされて飲めば、集中するから美味しくなります。
まさか味わわずに、飲み下したりしないでしょう。
でも100万円するワインは実際のところだと熟成が進んでいるから、人によっては値段を知らされなければ、「美味しい」というより「癖がある」ようにも感じたりもします。
拙著『集中力のトレーニングBOOK』では、「口の中に残っているのに、次のおかずへ箸が伸びたらアウト!」と、耳にタコができるくらい繰り返しました。
いわば、考え事と集中力との「綱引き」。
考え事に引きずられて、集中力は地を這う無残な結果が常態化しているのが多くの現代人です。
集中力を高めて、頭の中の考え事を黙らせてしまえば、テニスは上手くなるし、毎日の食事も美味しくなります。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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