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スーパーで癇癪が起きた時、わたしは仏を召喚する

こんばんは。
本当にだんだんと寒くなってきましたね。

先日息子とスーパーで買い物をしていた時
多分もうお腹も空いているようで、入店時からなんとなく本人はイライラしていた。

カートをとにかく押したがり、私が少しでもカートに触れようものなら「もう一度最初から!!!」と、本当に店先からやり直そうとする。

他のお客さんに、当たらないように
本当にそれだけは気をつけて。と毎回毎回伝えているせいか、カート捌きは結構上手くなっている。
品物もお願いしたら「かぼちゃですね!かしこまりました!」と、店員さんのように選んで取ってくれるし、一緒に買い物するのはとても楽しい。
お互いに楽しく買い物できていて、癇癪が起きない時はとても穏やかだ。

その日は、店内を途中までなんとか進めたときにはもう
「うぎゃああああー!!!」という、息子の叫び声がお店中に響き渡った。

しかもお休みの日の、まあまあ混雑している時間帯に。

周りの人がハッと、一斉にこちらを見る。

癇癪が起きている。

癇癪が起きている時は、頭がパニックになっているため本人もとても辛い。
いくら声をかけても届きづらいので、
また何か強い言葉を投げかけたり無理に歩みを進めようとすると、更にヒートアップする為、できる限りひたすら【待つ】ことを徹底する。

ただしこちらのコンディションとか、急いでいるとか、周りの人の目が、とか。
色んな要因で、いわゆるマニュアル通りにそう良しとされる対応ができることばかりではない。
そして、見守る親も、とっても辛いのだ。


しかし、今回ばかりは私の脳内では
「始まってしまった、、。この人の多さと、視線が痛い。でも、やるしかない。」
と覚悟を決めて(決められた)


心に仏を召喚した。

いわゆる【無】になった。
客観的に、そして視点を上から眺めることに成功した。


目の前で暴れる息子。
床で転がる息子と目線を合わせて
「落ち着くまで待ってる。大丈夫だよ。」と言った。

最初はその言葉も嫌だったようで更に叫ばれて
どれだけ叫ぶんだろうと思うほどだったけど、なるべく心に仏を召喚し続けた。


いくらでも待とうじゃないか。(強い意志)

すると、数分後、
「切り替えられた」と言っていつもの表情に戻った息子がいた。

「大変だったね。頑張ったね。」と、いつも通り
ハイタッチした。



今回、何故落ち着いて心に仏を召喚できたのかを考えてみた。
おそらく、マスクと帽子を付けていたからかもしれない。

私だけなのかもしれないけれど
マスクを付けると、何故か一つ、わたしと人との間に薄いうすい膜ができるというか、なんだかそんな感覚がする。
そのことによって心が守られている気がしているのだ。


また、帽子も深く被っていたので更に環境から守られている感じがしていた。

何も付けていなければ、他の人のこちらを見る痛い視線に心が揺さぶられて、全然違う対応をしていた可能性もあった。

今回の勝因はそこにあったんじゃないかなと思う。

息子も、待ってもらえたからか落ち着いてその後も行動出来ていた。


なるべくお腹を空かせないようにしよう。
次の買い物も、絶対マスクと帽子を持って行こう。

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