「全てにおいて是々非々」柔軟な発想と謙虚さの秘訣は「哲学」と「自然」
上から目線で失礼します。
今日はこれが最後の記事かな。
わたしも最近、思想ツヨイとか思想トガッテルとか言われだしました。
いよいよ、わたしがオッサンになったのか、それともわたし以外がブタになったのか。ニワトリになったのか。
わたしは皆さんがニワトリに見えます。
そんなわたしが気をつけていること。
全て事柄には嘘が含まれている可能性がある、という視点を持つこと。簡単に言うと柔軟性。フレキシビリティ。
最近というか、もともと、「コペルニクスもガリレイも嘘だった」、というのが口癖。なかなか他人に言ってすぐに受け入れてもらえる話ではないのですがね。
それで、物理法則や、歴史や、経済や、科学や、、、、なんでもですけど、これ、ホントなのかなあ?ウソじゃないのかなあ?と、疑ってみる視点は必要だと思います。
反ニュートン的視点です。リンゴが落ちることがおかしいと考えてしまうオマエの頭がおかしいのでは?的な。お釈迦様のような慧眼視点でもいい。
それで、そもそも、疑う事が出来るようになるにはどうすればいいのかって話ですが。
方法論としては哲学を最初から勉強することだと思います。
それから、とにかく、自然と戯れて、感じることではないかと思います。
哲学と自然。
わたしは、優しいので、ちゃんとこうやって方法論を提示しましたよ。
考えること、と、感じること、この二つの能力の基本は、哲学と自然にあります。
それが出来ずに、大人になってしまった人は、、、もう引っ込んでおいてください。迷惑です。
ルサンチマン丸出しの大人は、もう社会の癌でしかない。
子どもたちの事、これからの社会の事、未来の事を少しでも考える「気持ち」が残っているのなら、キモいオッサンは引っ込んで、こういうnoteで自分の考えを主張してたらいいんですよ。
昨今、社会において、急速に謙虚さが失われています。
急速じゃないですね。暴力的な速さで劇的に失われています。
いつも、アダム・スミスの道徳感情論を引用して、他人にもっと共感しろよ、って言ってますが。頭で理解できたって無理ですよね。若い頃に、哲学と自然を学べなかった人にはもう無理です。日本的教育の犠牲者です。同情はします。
最近のキャンプ・ブームは良い傾向だと思います。
ルソー的「自然に帰れ」の実践。
もう無理だというのは、私の思い込みということもありますので、そういうオッサンも一度キャンプに行ってみて、社会に対する共感を取り戻せるか、試してみてください。戻ってこれたらラッキー牧場。
よろしくお願いします。
そして、おやすみなさい。