雨雪風太

やっぱり授業はすばらしい。授業の可能性を広げていきましょう。 授業づくり/教材研究/教材開発/授業研究/校内研修/教師の成長

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やっぱり授業はすばらしい。授業の可能性を広げていきましょう。 授業づくり/教材研究/教材開発/授業研究/校内研修/教師の成長

最近の記事

宮澤賢治『青森挽歌』を読む ~妹は蛙になったのか~

 青森挽歌は難解だ。イメージの飛躍、視座の転換、突然のように挿入される独白に、読み手の思考が追い付かない。  冒頭の数行はあまりにも美しい情景描写だ。銀河鉄道のイメージは、このころ既に賢治の中にあった。 妹の死を消化しようとする賢治  冒頭の美しい情景描写を離れ、中盤からは、としの死を言葉の洪水のように語る。死を悼む挽歌をはるかに超えて、もはや絶唱である。  賢治が妹の死について語り始めたとき、突然のように「ぼく」が「ギルちゃん」について語るシーンが挿入される。「ぼく」と

    • あまんきみこ『ちいちゃんのかげおくり』 ~ちいちゃんは何を空へおくったか 陰性残像とエンメルトの法則~

       児童用の絵本で、こんなに悲しい物語はほかにあるでしょうか。小学校3年生の教科書教材にもなっていますが、扱いがとても難しい教材の一つです。それは、ちいちゃんの命が消えていく過程が、丁寧に描写されているからです。具体的に読み描こうとすると、どうしても死をリアルに描いていくことになってしまいます。少し長いですが、ちいちゃんが亡くなっていく場面を抜粋します。  さて、この場面では、「どこまでが現実でどこからが非現実なのか」を話題にした授業をよく見かけます。確かに、子どもたちは活発

      • 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 ~カンパネルラはなぜ死ななければならなかったのか~

         ジョバンニは現実の世界に帰され、カンパネルラはそのまま命を失う。二人の運命を分ける必要がどこにあるのでしょう。カンパネルラに落ち度があり、罰を受ける話であれば分かりやすいのに…。しかし、カンパネルラは罰どころか、川に落ちたザネリを救おうとして自らの命を投げ出したのです。なぜ、賢治はこのような不条理な死を描いたのでしょう。理解に苦しみます。  『銀河鉄道の夜』と同型の作品として『ひかりの素足』があり、二つの作品の共通性、対称性は随所で解説されてきました。『ひかりの素足』では

        • 宮沢賢治『恋と病熱』を読む ~「あいつ」とは誰なのか?~

          「あいつ」とはだれか  賢治は、双極性障害や解離性障害の症状を抱えていた言われている。生きづらさ、苦しさを感じることも多かっただろう。この日は、自分の魂が病んでいると強く思える、ひどい気分の日だった。そのため、カラスさえまともに見ることができない。カラスのように真っ黒で、色彩の刺激が乏しいものでさえ、視覚情報が強すぎるのだ。賢治は、共感覚の持ち主である。色彩などの視覚情報が感情に直接影響を与える。このような感覚と感情の混濁は、感情が色彩になって、景色を特定の色に染めていく。

        • 宮澤賢治『青森挽歌』を読む ~妹は蛙になったのか~

        • あまんきみこ『ちいちゃんのかげおくり』 ~ちいちゃんは何を空へおくったか 陰性残像とエンメルトの法則~

        • 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 ~カンパネルラはなぜ死ななければならなかったのか~

        • 宮沢賢治『恋と病熱』を読む ~「あいつ」とは誰なのか?~

          教室の対話を考える

          <例1> A:昨日の晩ご飯はカレーライスだったよ。今日の給食もカレーだけど、まあいいか。 B:給食とかぶる日ってあるよね。うちは昨日唐揚げだったな。 A:うちは唐揚げがあんまり出てこないんだよね。だって、お姉ちゃんが鶏肉嫌いだから。 B:うち、結構唐揚げの日があるかな。お母さんが、「鶏肉は安いから」って言ってた。 A:それはそうだな。あぁ、上手い唐揚げが食べたいな。 B:〇〇飯店の唐揚げ、めっちゃおいしいよ。大きいし、それになんたって安い! A:あの店だったら、いつもラーメン

          教室の対話を考える

          「振り返り」について考える

          なぜ「振り返り」は大切なのか 「振り返り」が大切だと言われるが、その根拠はどこにあるのだろう。「振り返り」とは、どのような学習活動を指すのだろう。「振り返り」を書かせることで、どんな力が育つのだろう。「振り返り」について改めて考えてみると、分からないことはとても多い。  昨年、次期教育振興基本計画が閣議決定された。そこには、「2040年以降の社会を見据えた持続可能な社会の創り手の育成」と「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」の2つを基本コンセプトとして、2040年の教育

          「振り返り」について考える

          新美南吉『ごんぎつね』を読む③

           「ごんぎつね」は悲しみの物語である。このことに異論を唱える人はいないと思います。死によってしか分かり合えない二人の関係は、理屈ではなく悲しい。いや、二人は、分かり合うための対話のスタート地点に立っただけで、まだ何も始まってはいないうちに死を迎えた。死によって、分かり合う機会を永久に失ってしまったのです。物語の悲しみは、ごんのけなげな償いに視点を向けられがちですが、本質的には心が通わないこと、言葉が交わされないことの悲しさです。  さて、「かなしさ」に「悲しさ」と漢字をあて

          新美南吉『ごんぎつね』を読む③

          新美南吉『ごんぎつね』を読む②

           前回は、物語のクライマックスであるごんが撃たれる場面について考えてみました。今回は、その前日の夜を描いた第5場面について考えます。 この場面は、命のやり取りほどの緊張感はないものの、ごんの運命が決定される重要な転換点となっています。 運命の転換点  月の明るい晩、兵十と加助が並んで歩く後ろを、ごんは二人の影ぼうしを踏みながらついていきます。途中で加助は、ごんの届ける栗や松茸が神様の仕業だと兵十に告げます。それを聞いたごんは、 「おれが栗や松茸を持っていってやるのに、その

          新美南吉『ごんぎつね』を読む②

          新美南吉『ごんぎつね』を読む

           日本中の教師が実践し、既に教材研究し尽くされている『ごんぎつね』。この物語に新しい視点を提示するのは難しいことです。しかし、今回はあえてその『ごんぎつね』に挑戦してみようと思います。 最後の6場面を紹介します。  兵十が駆け寄ってきてからラストまでの部分は、何度も何度も研究授業で扱われてきました。そこで、今回は火縄銃を撃つ前に視点を当ててみます。  兵十は、裏口から中に入るごんを見つけ、銃で撃とうと瞬時に考えたでしょう。躊躇する理由はありません。兵十にとっては「たかが狐

          新美南吉『ごんぎつね』を読む

          発問の基本技法

           さて、今回は発問の基本技法について書いてみようと思います。  これから紹介することは、基本技法であり原則ではありません。「こうであらねばならないもの」ではなく、「こうした方がたぶんうまくいく」という経験則です。  そんな発問の技法を5つに絞ってまとめてみました。どの学年、その教科でも、割と広く使えるものを集めています。 発問の基本技法51 言葉を明確にする○ 何度繰り返しても、一言一句変わらないように発問する。 ○ 言い直すうちに言葉が変わってしまうような発問は、子どもを

          発問の基本技法

          金子みすゞ『雀のかあさん』で授業する

           金子みすゞの詩の素晴らしさを改めて紹介する必要はないでしょう。彼女が弱者へ向ける眼差しには、愛に満ちています。  みすゞの詩には、何気ない日常風景を描きながら、途中で弱者にスポットライトが当てられ、対比的に弱者の側に心が引き寄せられていくパターンが多くあります。この詩も典型的なパターンによってつくられています。  今回は、この詩を使って授業をする場合の展開例、発問例を示します。 ※音読・視写を交えながら進めるが、省略して記載する。 第一連を板書する。(題は書かない) 発問

          金子みすゞ『雀のかあさん』で授業する

          授業エージェンシーで授業を省察する

          2030年の教育 OECDが発表した2030年に向けた学習枠組みにおいて、エージェンシーという概念が注目されている。エージェンシーとは、主体的に考え、行動して、問題解決に取り組み、責任をもって社会変革を実現しようとする能力や態度を指している。主体性や思考力、行動力など、切り分けられた個別の能力ではなく、自らよりよい社会を実現する主体者として必要な資質を総体として捉えたものである。このような資質はAIでは代替不可能だろう。  エージェンシーには、一人一人に求められる生徒エージェ

          授業エージェンシーで授業を省察する

          メノンのパラドクスと探究する学び

           プラトンの『メノン』は、探究する学びにおける対話の必要性について、重要な示唆を与えてくれます。 対話とは互いに手探りしながら着地点を探るコミュニケーション  メノンは、自分自身を優秀であると自覚している青年です。話は、そのメノンがソクラテスのもとを訪れて、徳について質問するところから始まります。  メノンは、「徳は教えられるものなのでしょうか?」と、ソクラテスに教えを請いますが、それに対してソクラテスは、「私は徳についてまるでぜんぜん知らない」と答えます。知らないものに

          メノンのパラドクスと探究する学び

          学びの作法と支え合う学びのマインドセット ~謙虚さ・ケア・利他・互恵性~

          1 学びの作法 今回は、学びを成立させる教室での作法について考えてみます。  学びの作法とは、学ぶ側と支える側の心構えと所作のことです。作法は、日常生活上の行為のきまり、しきたりですが、それに従った方が誰から見ても美しく、誰にとっても心地よいと感じる、他者と生きるための経験則でもあります。  ここで言う学びの作法は、「自立したよりよい学び手となるための作法」であり、「学びの場にふさわしい人間関係づくりのための作法」であり、「全員に学びの機会を保障するための作法」です。この作法

          学びの作法と支え合う学びのマインドセット ~謙虚さ・ケア・利他・互恵性~

          対象・他者・自己との対話 三位一体の学び

           学びは対象、他者、自己との対話的実践であるといわれます。それはどういう意味なのでしょうか。対象との対話を問題と向き合うこと、他者との対話を仲間と協同すること、自己との対話を学びを振り返ることと安易に考える人も少なくないと思います。果たしてそうでしょうか。今回は、対象、他者、自己との対話の意味について探ってみようと思います。  まず、対話を次のように定義しておきます。 対話とは、互いの未知に向かって、手探りで言葉を交わすことである  対話とは、自分が知っていることを相手と

          対象・他者・自己との対話 三位一体の学び

          世情 中島みゆき ~遅れてきた世代の苦悩~

           中学生の頃だった。ラジオから流れてくる歌に衝撃を受けた。歌詞の意味は分からなかった。ただ、何かを伝えたいという表現者のエネルギーだけが強烈に伝わってくる。そんな印象だった。  シュプレヒコールの波がデモ行進だろうということは、中学生にも分かった。しかし、それだけだった。意味は分からないまま、強い印象だけを残して歌は記憶の底にしまい込まれた。  プロジェクトⅩが復活して、テレビから流れてくる中島みゆきの「地上の星」と「ヘッドライトテールライト」を聴き、「世情」が再び心に浮かび

          世情 中島みゆき ~遅れてきた世代の苦悩~