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あまんきみこ『ちいちゃんのかげおくり』 ~ちいちゃんは何を空へおくったか 陰性残像とエンメルトの法則~

 児童用の絵本で、こんなに悲しい物語はほかにあるでしょうか。小学校3年生の教科書教材にもなっていますが、扱いがとても難しい教材の一つです。それは、ちいちゃんの命が消えていく過程が、丁寧に描写されているからです。具体的に読み描こうとすると、どうしても死をリアルに描いていくことになってしまいます。少し長いですが、ちいちゃんが亡くなっていく場面を抜粋します。

明るい光が顔に当たって、目がさめました。
「まぶしいな。」
ちいちゃんは、暑いような寒いような気がしました。ひどくのどがかわいています。いつのまにか、太陽は、高く上がっていました。
そのとき、
「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」
というお父さんの声が、青い空からふってきました。
「ね。今、みんなでやってみましょうよ。」
というお母さんの声も、青い空からふってきました。
ちいちゃんは、ふらふらする足をふみしめて立ち上がると、たった一つのかげぼうしを見つめながら、数えだしました。
「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」
いつのまにか、お父さんのひくい声が、かさなって聞こえ出しました。
「ようっつ、いつうつ、むうっつ。」
お母さんの高い声も、それにかさなって聞こえだしました。
「ななあつ、やあっつ、ここのうつ。」
お兄ちゃんのわらいそうな声も、かさなってきました。
「とお。」
ちいちゃんが空を見上げると、青い空に、くっきりと白いかげが四つ。
「お父ちゃん。」
ちいちゃんはよびました。
「お母ちゃん、お兄ちゃん。」
そのとき、体がすうっとすき通って、空にすいこまれていくのがわかりました。
一面の空の色。ちいちゃんは、空色の花ばたけの中に立っていました。見回しても、見回しても、花ばたけ。
「きっと、ここ、空の上よ。」
と、ちいちゃんは思いました。
「ああ、あたし、おなかがすいて軽くなったから、ういたのね。」
そのとき、向こうから、お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、わらい歩いてくるのが見えました。
「なあんだ。みんな、こんな所にいたから、来なかったのね。」
ちいちゃんは、きらきらわらいだしました。わらいながら、花ばたけの中走りだしました。
夏のはじめのある朝、こうして、小さな女の子の命が、空にきえました。

ちいちゃんのかげおくり

 さて、この場面では、「どこまでが現実でどこからが非現実なのか」を話題にした授業をよく見かけます。確かに、子どもたちは活発に意見を出し合います。しかし、盛り上がれば盛り上がるほど、目の前に死が浮かび上がってくるのです。授業が盛り上がっていればそれでいい、ということは決してありません。言葉を失い読みふける。そんな姿の方が私は好きです。授業が活気づくほど、余計にそう思います。

 このほか、「ちいちゃんは幸せだったか」という発問もよく見かけます。これも盛り上がります。しかし、たとえ死後に家族と再会したとしても、不条理で悲しい死であった事実は変えられません。それを幸福か不幸かという二項対立で議論することは、倫理的に違和感を覚えます。登場人物を通して物語と深く出会うということと、授業の盛り上がりは、無関係なのです。

 この物語は「かげおくり」という遊びがモチーフとなっています。「かげおくり」は陰性残像の現象を使った遊びです。赤いものをじっと見つめて、その後に別のものに目を移すと、赤色の補色である緑色の残像が見えます。その現象です。黒色の影を見つめると、その補色である白色が残像となって見えるというわけです。でも、実際には、なかなかうまくいきませんけれど。

 「かげ」にはどんな意味があるのでしょう。辞書で調べると、次の5つの意味があるとわかりました。
①光そのもの(月影)
②姿(人影)
③光に遮られた暗い所(日陰)
④見えない所(物陰)
⑤不穏な状態(影のある人)

 ちいちゃんが「かげおくり」をするとき、地面で見つめたのは、どの「かげ」でしょう。
 自分の体で光が遮られてできる「かげ」を見ているので、③の意味のようですが、その暗い部分によって人間の姿を見ているので、②の「影」の漢字を使います。「影踏み」遊びの「影」と同じですね。
 実際に像が見えるので、何らかの光の刺激が外から入ってくると考えてしまうと、①の光そのものを見ているようにも思えます。しかし、あくまでも網膜に残った残像なので、外界からの光は見ていないことになりますね。 
 「かげおくり」の場面以外でも、物語には「かげ」を想起させるものがいくつも出てきます。戦争が激しくなっていく不安の影、ちいちゃんが隠れた防空壕の物陰、橋の下でお母さんと見間違えた人影などです。こうしたものを丹念に探しながら、「かげ」の意味を広げていくのも、この作品だからこそできる貴重な読書体験です。 

 ちいちゃんは、空におくった「かげ」に何を見たのでしょう。
 エンメルトの法則をご存じですか。Wikipediaでは、「物体の網膜像の大きさが同一である場合、知覚される物体との距離に比例して物体の大きさ知覚は変化するという法則」と説明されています。ちいちゃんが家族と一緒にやった「かげおくり」は、地面の「かげ」より大きな記念写真を、青空にうつし出しました。
 目の前の黒い陰(影)を見つめ、次に、視線を上げ、空に大きな白い影を見る。ちいちゃんは、空にうつった自分や家族の大きな白い影に、何を思ったのでしょう。
 俯いて見る現実の等身大の暗い影から、見上げる空想の大きく白い影への転換。ちいちゃんは、幸福につつまれた未来の家族を思い描いて、自分の影を空へ送ったのかもしれません。
 ちいちゃんが亡くなる前にする最後の一人遊びも「かげおくり」でした。かすかに残る未来への希望。この場面の「かげおくり」には、みんなで暮らす未来の家族の姿が投影されていた。そんなことを、教室で読み味わうことができたら素敵ですね。

 物語の最後は、戦後の平和で穏やかな町の様子が描かれています。

それから何十年。
町には、前よりもいっぱい家がたっています。
ちいちゃんが一人でかげおくりした所は、小さな公園になっています。
青い空の下。
今日も、お兄ちゃんやちいちゃんぐらいの子どもたちが、きらきらわらい声を上げて、遊んでいます。

 この場面にも「かげ」が隠れていました。「面影」です。公園で仲良く遊ぶ子どもたちの姿には、確かにちいちゃんの面影が重なりませんか?

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