【作品紹介】栗 -実りの秋に寄せて-
待望の秋。
秋と言えば、人それぞれの「〇〇の秋」があると思います。けれども、古より四季を愛でてきた日本人の意識の中に組み込まれている「秋」は、恐らく「実りの秋」ではないでしょうか。
此度は、そんな秋の実りを象徴する「栗」を根付に仕立てました。
栗根付に込められてきた縁起(勝栗:武運長久)については、折に触れて記してきましたが、今作に関しては、縁起を担ぐことのみならず、生き辛い時代を生きる人々へのメッセージを込めながら彫り上げました。
それでは、お時間の許す方はお付き合い下さい。
此度は、毬の中に納まっている「三つ並びの栗」を表現してみました。
ちなみに、この野趣溢れる風体をした三粒の栗たちは、人の手入れが行き届いた栗林で栽培された農産物としての栗ではなく、過酷な自然環境の中で自生していた栗です。
自ら栗を拾いに山野へ赴き、下処理から調理までされる方であれば、よくよくご存知のことと思いますが、旬を迎える前に台風や強風で落下した毬の中には、未成熟な栗が入っていますよね。
私は、そんな毬栗を見つけると、ちょっとばかり切なくなると同時に、励まされたような気持ちになるのです。
そもそも、食べ頃の栗であっても、真ん中に挟まれた栗は、成長が早い両側の栗に押されて、ヘンテコな形をしていることが多いものです。その姿はまるで人間社会を投影しているかのように見えてしまいます。
例えば、そうですね・・・。
折に触れて辛い思いをする「三人兄弟の真ん中」とか。
世知辛さを痛感させられる「会社の中間管理職」とか。
呼称や立場はどうあれ、上からどやされ、下から突き上げられて・・・といった状況に大差はないような気がします。いずれにしても、窮屈そうに挟まれている栗を見ていると、「真ん中の立場にいる人々」の生き辛さや悲哀を感じてしまうのです。
がしかし、「中」の文字を見れば分かる通り、真ん中を貫く一本の線は「上と下を繋ぐ一画」であり、それ即ち「上を知り、下も知る」ということを示しているとか、いないとか(微笑)。
この頓智の効いた解釈は、古典落語の枕(武家・大名が関わる噺の時に語られることが多い)で語られているくらいだから真意の程は分かりません。けれども、かように捉えてみれば、なんとなく合点もいくし、カタルシスを感じることもできそうですね。
とかく、刺激や注目を求める余り、極端な表現や悪戯が好まれる昨今ではありますが、そんな時代だからこそ、私自身は中庸であること、そして、上にも下にも通じている「真ん中の立ち位置」で在りたいと思うのです。
未熟な栗たちとの対峙は、そんな感慨に浸らせてくれると同時に、彫刻に勤しむ一時を穏やかなものにしてくれます。
そして、彫り進めていく中で、過酷な自然の中を生き抜くことの困難さ、そして孤独さを強く想像させてくれるのです。
静かな雑木の山に自生する栗の木の根元に転がる青緑色をした毬栗たち。
未成熟な彼らは、糧を得る立場の人間からすれば、自然が与えた過酷な試練に抗うことができなかった落伍者の様に映るかもしれません。
けれども、彼らの生命は無駄にはなりません。長い時をかけて、大小様々な生き物や大地を肥やす糧となるのです。
無駄な命はない。
「実りの秋」は、様々な命の有様に思いを致す季節でもあるのです。
§ 作品の概要
【作品名】
栗(くり)
【使用材料】
本体:黄楊(ツゲ:御蔵島産)
仕上げ材:染料(ヤシャブシ)、茶粉、イボタ蝋
【サイズ・長さ】 ※最大部分で計測した凡その寸法
本体サイズ:長辺 36㎜ × 短辺 25㎜ × 高さ(厚)23㎜
興味を持って頂けた方は、ネットショップ Creema の方へも遊びに行ってみて下さいませ。