イルカ雲とクジラ雲〜人のジャッジと自分の可能性(私の場合)〜
「私には、出来ない」。。。
これは長年、とても根深い私の思考癖のひとつ。
「出来ない病」と言ってもいいかもしれません。
というのは、
「上手くないとやっちゃいけない」
という心の癖がありました。特に、芸術系の分野に関しては、そういう心の縛りを抱えてきた氣がします。(芸術系については母親の別の言葉の影響もあります。これはまた別に書きます。)
これには私の性質(HSPと、おそらくエンパス)と、小さい頃からの生育過程が関わってまして…。
一つは母親の完璧主義。
「完璧にしなくてはならない」
さらに
「失敗すると怒られるので失敗してはいけない」
その果ては
「完璧でない物は出さないほうが良い」
おまけに
「私には芸術的才能は無いだろう」…
というような思考行動パターンな氣がします。
もう一つ大きいと思うのは
「親が何かをジャッジ(評価)する時の、言外の心の動き」ですね。
これは、私への評価だけでなく、他人への評価も含みます。
「あんまり上手くない」ものに対して「下手だと見下す」という親の心の動きが、なんとなく透けて見えてしまったのだと思います。
うちの場合は、父親にもそういう面がありました。
文章にするとくどいので。。。
私には出来ない
↓なんで
うまくできないから
↓なんで
まだ下手だから
↓
下手だと「下手」と言われる
↓そして
下手だと見下される
↓
私は、親に見下されたくはない…見捨てられたくない!
子供心にそう感じたのではないかと思うのですね。
私のなかの「出来ない病」の源は、小さい頃から感じた、そういった親の反応や対応から癖になって、大人になっても引きずっている、思考・行動・感情の習慣のしこりです。
ここ数日、しばらく離れて暮らしていた母親と少し一緒に過ごしてみて、改めて「上か下かでジャッジ(評価)する発言が多いな」ってことに、氣づきました。
以下、孫(私の姪)のお稽古(踊り)のクラスメートに対しての感想を言うおばあちゃん(私の母)の発言。
「あの子はうまい」
「あの子はいい子だけど、あんまり上手じゃない」
「すごくうまく見える」…etc。
。。。。。いやまあ、お稽古事だからさ、そういう感想は出がちかもしれないんだけどさ。。。
聞いてると「上手い」以外の「良さ」の感想の語彙が、ほんとに少ないの。
重要、かつ強調されてるのが、「上手かどうか」なのよ。
あとは、小さい子の「幼さ」に対しての「可愛い〜!」ぐらい。
…他にもいろいろあるじゃんか、感想ってさ。
普通にありがちな「すっごい体柔らかいね」でもいいし、「表情がにこやかでいい感じ😊」とか、音楽のリズムにノってる💕とか、動きが優雅で素敵🌹とか力強い✊とか、あっ、仲間をフォローしようとしてる🤝!とか…。
気づいてないのか、もしかしたら思ってても言わないだけなのかもしれないけど、、
「上手い」以外の褒め方を母親はあまり言葉で表現しない。
そして、そのおばあちゃんの発言の一番力のこもってる
「上手い、下手」の評価に、しっかりと聞き耳を立ててる孫…。
「ここが一番重要なんだ!」とばかりに食いついて聞いてたよ。
それを見て、「…これは、かつての私だ!」と、思った。
私は、そういう親の元で育ってきて、人目を気にする・人からのジャッジ(評価)を重要視する子供であったし、それを抱えて大人になった。
また、ひいては自分自身も、人に対して、狭量なモノサシでジャッジをしてきたんだな、と思った。
あるある、自覚ある。覚えてる。
「成績のいい子悪い子」「運動ができる子できない子」「字の上手い子下手な子」「絵の上手い子下手な子」「人気のある子無い子」「面白い子面白くない子」「優しい子意地悪な子」…
目の前の友人相手に「上手い」とか「下手」とか、直接的に口に出して言う子ではなかったけど、心のなかに常にそういうモノサシを置いて、自分の位置を測ったり下に見たり上に見たりして、自分も人も判断していたな、っていう感じを思い出した。
相手に直接的に言わなくても、私の「素の反応」には、きっとそういう意識が表れてただろうな、と思う。
大人になってもその延長線上で、自分や人にジャッジをしてきたんだ。
だから、色々出すのが怖いし、出せなくて苦しかったんだろうなと。
つい先日も、フォローさせていただいてるロッカ🎸ちゃん💌さん(さかなクンさん的だ)が、発表されてる詩や文章に対して、「朗読やイラストやその他の表現でコラボしませんか?」という企画をされていらっしゃり、お誘いを受けたのですが…。
それを見た私は。。
「えと…(^_^;)、私にできること…何もない…かも…」
という感じで、本当〜に自分にがっかりで、
心がこんな感じ→_| ̄|○ (手をついてうなだれる図)になってたのです。
「私、こんなの出せますよ〜」という特技みたいなものが
「…なんにも、ないっ!」と思った。。。
何もご提供出来ない自分が、本当〜にスッカラカンな気がして、
〽なーいなーいづっくし〜、無ーいづっくし〜、あそ〜れ👏
と、踊りたくなった。。。
(ふざけてるわけでも、楽天的なわけでも無くて、本当〜に「私には無い!」という絶望感がすごくて、絶望が極まって虚無の底まで到達し、跳ね返ってきて陽の側のアホっぽいリアクションに突き抜けました😣。例えると、あんまりにも怖いことがあると逆に笑っちゃう!みたいな感じです)
…こんなスッカラカンの「カラン」とすら音もしないような
「無い」自分に何ができるか…と考えてるうちに、ロッカさんからご提案が。。
「朗読とかできますか?」と
朗読。
授業でしかやったことない。
でも国語好きで朗読は特に苦手では無かった。かすかに褒められたこともあった気がする。
でも、それもウン十年前の学校時代のこと。
仕事はおろか、趣味でもない、大人になってからやったこともない。(知り合いの子や甥姪などに読んだくらい。)
でも、読むことが仕事や趣味でもない私でも、「音読する」ということは、もしかしたらできるかもしれない。
…上手くはなくても。
なので、ちょっと未体験のnoteの音声投稿をやってみようかな?と思いました。(できるのかな、何故かスマホもタブレットも音声投稿のアイコンがオフなのです。パソコンからならOK?わかる方教えてくだされ🙇)
じつは、この「上手くはなくても、やれるかも」っていうのが、自分にとっての、大事な「人生転換スイッチ」なんじゃないかな、と思ってます。
「下手」を通らないと上手くなんかならないし、やること自体が楽しくなることもある。
それを経験中です。
多分、note記事くらいなんですよ、私。
「上手くなくてもいいや」って思って出してるの。
自分の中の何かが大きく変わったんだろうな、と思います。
実は前回のイルカ雲と同じ空の下に、クジラ雲もありました。
クジラ雲🐳は…
「あなたには今大きな力がある。より多くの人が幸せになる方向に使いましょう」
だそうなのですね。(前回とおなじく
大きな力
…があるのか。
つい、…あるのか?って今までの癖で疑問形で言いたくなるんだけど。。
自分で、あるって信じないとね。
(なんかわからんけど、「ある」ってことにちゃんと感情移入したら、涙出てきた)
なんにも始まらない。
多くの人が幸せになる方向…
パッとは思いつかないけど…
あ、例のくじらのマーテミーさんが言ってたことかな?
みんながみんなの役割を果たす、ってこと、か…な?
前後に分けたのに、超長いモノローグなっちゃった。
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