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なぜ西尾はお茶が名物になったのか?

 知的好奇心の赴くままに行先を決定する旅。今回は、「抹茶を味わいたい。」ために、西尾市に行きました。西尾市に行って、なぜ西尾市で抹茶が名物になったのか、考察しました。

西尾市

 愛知県東部の三河地方にある16.8万人が住む街(2022年10月時点)。三河湾に面した街。中心市街地の西尾駅周辺は、西尾城の城下町として発展し、今も数多くのお寺が残るなど、歴史を感じさせます。さらに、一色のうなぎ、西尾の抹茶も名物です。
 今回の西尾市を訪れた理由は、西尾の抹茶を味わうため。愛知県には、西尾茶を使ったお土産が数多くみられます。なぜ、西尾がお茶で有名なのか気になり、訪れました。

西尾城

 名鉄西尾駅から徒歩15分。1221年、承久の乱の功績が認められて三河国の守護に任命された足利義氏が西条城として創建。その後、足利氏は吉良氏に改め、安土桃山時代に酒井重忠、田中吉政によって規模を拡大させたり、西尾城に改名して、近世の西尾城を確立しました。明治維新によって取り壊されました。
 現在の西尾城は西尾市歴史公園として整備され、1996年から櫓や門が徐々に復元されています。天守も復元予定。現在のシンボルは、高さ10mの本丸丑寅櫓。城内最大の建物と言われており、漆黒の櫓が印象に残ります。

本丸丑寅櫓
二之丸丑寅櫓

西尾市歴史公園
開園時間 9:00〜18:00
定休日  月曜日、年末年始
アクセス 名鉄西尾駅から徒歩15分

西尾の抹茶

 西尾城に隣接する西尾市資料館で西尾の抹茶の歴史を学びました。
 西尾駅から徒歩40分の場所にある1271年創建の実相寺が西尾茶の発祥と言われています。お茶は、奈良時代、中国から遣唐使によって種子が持ち込まれました。当時、眠気、二日酔いの薬として利用されました。創建時に、開祖・聖一国師が境内にお茶の種をまいたこと。室町時代に、嗜好品として飲まれるようになり、1692年には茶園を経営していたという記録があります。西尾のお茶の歴史は750年も続いています。江戸時代のお茶は身分の高い人の薬として重宝されており、お金の生る木としても知られていました。
 江戸時代、徳川家康の伯母を弔うために創建された紅樹院。ここから150年もの西尾茶の発展の歴史が始まりました。1872年、紅樹院住職の足立順道が、京都の宇治から茶の種を取り寄せて9年かけて栽培し、茶園を開きました。さらに、知多郡から茶師を招き、茶の製造を始めました。そのあと、西野町地区一帯に引き継がれ、150年の間に、日本有数の抹茶の産地として発展。2019年には、宇治茶に次いで抹茶の生産量2位で約400tと有数の抹茶のブランドとして成長しました。
 2005年、西尾茶の価値を高めるため、地域ブランド取得を目指し、2009年に「西尾の抹茶」として日本で初めて抹茶で登録されました。対象範囲は、西尾市、安城市内で茶葉から加工し、茶臼挽きした抹茶であること。
 西尾市内では、西尾の抹茶を使ったドリンクやスイーツも楽しめ、街の観光資源としても重宝されています。

抹茶ラボの抹茶ストレート(アイス)450円

西尾市資料館
開園時間 9:00〜18:00(10~3月は17:00まで)
定休日  月曜日、年末年始
アクセス 名鉄西尾駅から徒歩15分

抹茶ラボ 西尾伝想茶屋店

 西尾駅から徒歩12分。西尾城の近くにあるカフェ。デンソーの寄付で建てられたため、店名に「伝想」と店名に名づけられています。中は、古民家に住んでいるかのような錯覚におちいります。縁側から庭を眺めながら、ゆったりと時が流れていきます。
 西尾の抹茶を使ったドリンク、スイーツがそろってます。その中でもスイーツはジェラート、モンブラン、バスクケーキ、パフェなどバラエティ豊富。今回は抹茶と西尾抹茶芋んぶらんをいただきました。

中庭の見える古民家風のカフェ

濃厚抹茶芋ブラン

 表面のクリームの抹茶の濃厚さを感じましたが、渋みが弱く、まろやか。中のアイスが3種類。抹茶の濃度が異なり、上は新緑色、真ん中は白色、下は濃い緑色。緑色が薄いほどミルクとのバランスを感じ、濃いほど抹茶を感じることができます。トッピングの芋けんぴから胡麻油の香りも漂います。
 抹茶も渋みをほとんど感じず、まろやかな味わいです。抹茶とスイーツの相性がピッタリです。

西尾抹茶芋んぶらん 1540円

開館時間 10:00〜17:00
定休日  月曜日、年末年始
アクセス 名鉄西尾駅から徒歩12分

なぜ、西尾はお茶の名産地になったのか?

1.西尾市と宇治市の気候、土壌が似ていたから

 1200年前に西尾にお茶を持ち込んだのは、宇治に地形、気候似ていたため。お茶の栽培条件は、年間平均気温が14~16℃、冬の最低気温が-5℃を下回らず、夏の最高気温が40℃超えないこと。一日の気温差が大きいほど優れた品質のお茶ができます。降水量は年間1500mm程度。西尾市は年間の平均気温15℃、年間1600mm程度でお茶の栽培条件を満たします。冬は-3℃、夏は40℃を超えることはありません。当時の人々はデータという概念が存在しないため、感覚でつかんでいました。雨温図で見ると西尾市と宇治市の気候が似ていることがよくわかります。先人の知恵は恐るべしです。

西尾市と宇治市の月別気温、降水量の比較

 水はけのよい土地が必須。西尾市には市内を縦断する矢作川。その流域に砂混じりで肥沃な土壌をもたらします。その土がお茶つくりにぴったりです。

2.開国によるビジネスチャンスをつかむため

 1853年、ペリーが浦賀に黒船で来航。当時、アメリカは捕鯨船の物資補給拠点を探しており、そのために日本に開国を求めました。翌年、横浜、下田で日米和親条約が結ばれて開国。その後、函館、横浜、長崎、新潟、神戸が貿易港として開かれ、欧米諸国との貿易が始まり、グローバル化が進みました。当時、茶は生糸に次いで重要な輸出品とされ、ビジネスチャンスとして参入する若者が急増するほど注目されるようになりました。西尾でもお茶のビジネス化を進めました。宇治、静岡には量では勝てないと感じ、当時、最も単価の高かった抹茶を軸にして産業化を進めました。

 西尾の抹茶は時代の流れを読んで、元々栽培されていたお茶をビジネスとして発展させました。現代では、スマホ一つで浴びるほどの情報を集めることができます。時代の流れを読んで、求められていることを察知して自分のできることと合うものを見つけて積み上げていく。古民家で中庭を眺めながら、西尾の抹茶を味わい、ふと思いました。

参考サイト

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たびてく@一人旅ガチ勢
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